青淵文庫 (せいえんぶんこ) 重要文化財



 ”日本の資本主義の父”と呼ばれる明治期の大実業家だった渋沢栄一は、生前都内数ヶ所に幾つかの邸宅を構えており、順に深川・兜町・飛鳥山・三田と御屋敷を建てていきました。この内の深川と兜町は既にありませんが、三田の御屋敷はそっくりそのまま青森県三沢市の古牧温泉内に移築され、飛鳥山のは1945年(昭和20年)4月の大空襲によりあらかた焼失して今は飛鳥山公園の一部となっています。中国の詩人陶淵明の詩から「曖依村荘(あいいそんそう)」と命名されたこの御屋敷は、飛鳥山の高台に8470坪にも及ぶ広大な敷地を持ち、和館の本邸と離れの洋館、茶室の無心庵や山形亭に邀月台など趣向を凝らした建築物が点在していましたが、今は全て礎石などに痕跡を残すのみです。

 

 元々は深川の本邸が低湿地にあり、当時流行のコレラを恐れて高台の飛鳥山に土地を求めたもので、当初は別邸として使われていたものです。その後ここを気に入ったのかはたまた事業の王子製紙が近いこともあってか本邸として使われるようになり、1931年(昭和6年)に91歳で没するまでここで暮らしています。
 敷地内の全ての建築物が焼失したわけではなく、難を逃れた物件が3つあり、元は兜町の本邸にあり移築されていた稲荷社の一部と、栄一喜寿の御祝いで贈呈された小規模の洋館である「晩香蘆」、それに図書室として建てられた「青淵文庫」。この「晩香蘆」「青淵文庫」はともに内部公開されています。

 

 バンガローから命名された晩香蘆は庭中のちょっと一休みする為の小亭といった外観ですが、青淵文庫の方は図書室ということもあってか重厚堅牢な面構えで、一見するとオフィスかレストランのような雰囲気もあり、実際に今の渋沢史料館がオープンするまではここが事務所として使用されていました。
 建造が1925年(大正14年)で当初は栄一傘寿の御祝に計画されたものの、竣工直前に関東大震災に遭遇し、補強の為に鉄筋コンクリートを採用して構造耐震化を図った為に工期が遅れ、完成したのは栄一85歳の時。煉瓦と鉄筋コンクリートを併用した構造で、さらに図書室ですから耐火にも優れており、戦災で焼失した洋館に隣接していたものの難を逃れたのは、この工法の賜物なのでしょう。

 

 外壁には白い伊豆産の月出石を貼ってあり、前庭の露台に埋められた黒い那智産の小御影石とコントラストを作っています。その露台上の壁面にはフランス窓が開けられていて、上部にはステンドグラスが嵌められおり、側面には柏の葉をデザインした京都の泰平タペストリータイルが貼られてあります。この柏は渋沢家の家紋から。露台の周囲には「壽」の字をあしらった鋳物製の手摺を廻らせるなど、細部には凝った意匠が展開しており、一見すると端正で重厚な外観ながら精緻で流麗な建築物であることが判ります。これは設計にあたった田辺淳吉の趣向が影響しており、建築と工芸の融合を目指したアーティスティックなセンスを発揮した作品の一つと言えます。

 

 

 内部は一階が閲覧室・記念品陳列室・予備室・配膳室が並び、二階に書庫が置かれた構成。搬入予定だった書物が大震災で焼失してしまったので、実際には図書室としてよりも迎賓館として使われていたようです。閲覧室内部入口上に扁額があり、栄一自身が85歳の時に書いた字を木版に彫ったもので、この「青淵」とは栄一の深谷にある生家の下に淵があり、淵上小屋と呼ばれていた事に因んで。
 また入口脇の壁面にも柏の葉のタイルが使われていますが、表のタイルでは風化により剥げてしまっていますけれど、斜めの枠線と団栗のイラストに金箔が残されています。



 

 閲覧室は南北に細長い長方形の平面を持つ部屋で、東側の露台との間に四面のフランス窓が嵌ります。内側から見ると上部のステンドグラスの図案が良く判り、中心部はタイル同様に家紋の柏の葉ですが、左右両脇に昇り竜・降り竜が見られます。これはこの青淵文庫を贈呈した栄一の弟子達が結成した「竜門社」に因んで。

 

 

 ステンドグラス以外にも凝った意匠が散りばめられており、床はチーク材の寄木張りを用い腰羽目板にもチーク材、笠木廻りに繊細な彫刻をあしらって壁や天井にも石膏で様々な紋様を造る等、工芸品のような精緻な意匠が展開しています。腰板に二ヶ所暖炉の様な電気ストーブがあり、内部を覗くとヒーターと蒸発皿があって、加湿器の機能もあったようです。その電気ストーブ廻りは大理石を採用。天井から吊るされた3つのシャンデリアも優雅なデザインで。

 

  

 予備室と記念品陳列室との境の壁上天井にピクチャーレールと呼ばれる金具が取り付けてあります。この金具のフックに掛け軸等を吊るして客を歓待する目的のものとか。その先の二階へ上がる階段室は吹き抜けの螺旋状に組まれており、背部へ丸く突き出して外観へのアクセントを与えていますし、石の列柱と織り成すガラス窓は神殿風の荘厳な趣で、西面にあたることから夕暮れ時には神秘的な空間と変わります。
 かように外観はちょっとそっけない建築物ですが、細部には美術工芸に造詣の深かった田辺淳吉の資質が強く反映されており、若くして亡くなった為に遺構の少ない貴重な作品の一つです。この青淵文庫を含めて震災復旧事業に心血を注ぎ、過労の為に竣工後程無くして没しています。国重要文化財指定。

 

  



 「渋沢史料館」
  〒114-0024 東京都北区西ヶ原2-16-1
  電話番号 03-3910-0005
  開館時間 晩香蘆・青淵文庫 AM10:00〜PM3:45
  休館日 月曜日 12月28日〜1月4日