羅須地人協会 (らすちじんきょうかい)



 作家宮沢賢治は稗貫農業高校(現花巻農業高校)の教師を4年間務めたあと、「本当の百姓」となって農業の向上を目指し、独居で自炊生活を始めた家が、「賢治先生の家」として花巻農業高校内に移築保存されています。元々この家は賢治の祖父宮沢喜助が別荘として建てた物で、1904年(明治37年)建造。賢治は1926年(大正15年)にここに移り住みました。

 

 賢治はここで「羅須地人協会」という名称で、地域の若い農民達のサークルを運営していました。農民に稲作を指導したり、種や作物の交換会や肥料設計相談、文学・天文の談義や、レコードを聞いたり演奏会を開いたりして、農民達の意識の活性化を図ろうとしましたが、金持ち息子の道楽と見られるなど中々理解が得られず、賢治自身の病もあって頓挫しました。
 
内部は1階がパブリックスペースで2階がプライベートルームの構成で、1階玄関横の10畳ほどの板敷の部屋は教室として使われていました。ここは賢治が改築した部屋で、黒板にオルガンや椅子が並べられていて、恩師を慕って集まってくる生徒達や若い農民達と楽しくサロンを開いたところです。

 

 この板敷きの部屋の隣は8畳の和室。1階はこの二つの部屋と風呂とトイレがあるだけです。2階も1階の和室と同じ間取りの部屋があるのみ。自給自足のシンプルライフを実践していたこの家で、数多くの詩や「銀河鉄道の夜」などの童話が生まれたわけです。

 

 この家は賢治が移り住む前に妹トシを看病した所でもありました。周りからは疎んじられる兄賢治の唯一の理解者だったトシは、病の為24歳の若さで亡くなりました。そのトシの最期を看取った賢治が悲しみを綴った詩が「永訣の朝」です。トシ臨終の日の朝に、窓の外に降り続く湿った雪を、熱に苦しむトシに「あめゆき」を取って来て食べさせようとする詩は、日本の挽歌の中でも最もすぐれたものの一つです。
 かつてこの家は北上川のほとりに建てられていました。家の崖下には小さな畑があったそうで、そこで賢治は農業に勤しんでいたそうです。玄関横には伝言板があり、今でも賢治がフイと現れて来るような気になります。





 「羅須地人協会」
   〒025-0004 岩手県花巻市葛1-68
   電話番号 0198-26-3131
   開館時間 8:30〜17:00(土日は午前のみ)
   休館日 無休