応挙館 (おうきょかん)



 明治期以降に現れた近代数寄者の中で、その筆頭格だったのが三井財閥の総支配人だった”鈍翁”こと益田孝。三千家を中心とする各流派の茶道家元が、長年の継承の間に洗練されすぎてしまい、硬直化しいわゆる”遊び”の部分が失われていったのに対して、より自由闊達で遊興心に富み、茶道にダイナミズムとスペクタクルを加味した世界を築き上げたのが鈍翁でした。それまでの侘び寂びを極める禅林文化に対して、仏像や仏画に絵巻物を茶室内に持ち込み、密教美術や王朝文化を導入したのも鈍翁ですし、茅葺農家の改造による田舎屋風の茶室を創造したのも鈍翁の発想力によるなせる業です。その鈍翁は、高級住宅地である大崎の御殿山に「碧雲台」と呼ばれる約1万2千坪の豪邸を構えていましたが、戦後の財閥解体の憂き目に遭遇してその膨大な質量共に優れた古美術のコレクションは全て散逸しまい、自邸も西武グループの箱根土地に売却されて、現在はビルマ大使館公邸に姿を変えています。かつてはコンドル設計の2階建ての洋館や、桂離宮を模した数寄屋風の新座敷に、「太郎庵」「土足庵」「為楽庵」「幽月亭」といった茶室群が点在するスケールの大きな御屋敷を形成していたのですが全ては儚い夢。原三渓の三渓園や根津青山の根津美術館に、松永耳庵の柳瀬荘・老欅荘と他のお仲間達の遺構は現存していますが、絶大な権力を誇った中心人物の遺構が失われているのは少し皮肉な気がします。ただ1933年(昭和8年)に自邸内にあった「応挙館」と呼ばれる建物のみが国に寄贈されており、東京国立博物館の裏庭に移築されています。大豪邸「碧雲台」の姿を今に伝える貴重な遺構。

 

 この応挙館は、名古屋市の西隣にあたる愛知県海部郡大治町馬島の、天台宗明眼院の書院として1742年(寛保2年)に建てられていたもので、1888年(明治21年)に鈍翁が購入し碧雲台に移築してあったものです。屋根が入母屋造りの桟瓦葺による木造平屋建てで、大きさは桁行9m奥行15mの43坪の広さ。大崎の御殿山は今でもそうですが当時も都内屈指の御屋敷街で、鈍翁の自邸である碧雲台の隣には実業家である原六郎氏の自邸がありました(現在は原美術館)。この原邸内に園城寺月光院内の客殿だった慶長館という書院建築が移築されており、戦前の昭和初期に護国寺を東京における茶道の本山とする運動が起き、鈍翁の応挙館を移築してその中核施設とする話が持ち上がったのですが、どうやら難色を示したらしく隣家の慶長館を移築する話に落ち着き、今はその慶長館は護国寺内では月光殿と名を変えて、国の重要文化財にも指定されて茶会によく使われているようです。ひょっとしたらこの応挙館が護国寺へ移築されて、慶長館が原美術館内に今でも残っていたのかもしれません。鈍翁は色々とエピソードに事欠かない御仁で、茶道界のカツシンみたいな存在。

 

 内部は18畳の広間が二つ並び、その周囲を畳廊下が取り巻く構成で、各部屋にはその命名の由来にもなった円山応挙の襖絵・障壁画が描かれています。高い天井に長押を嵌めて、床・違い棚・付書院を備えた正統的な格調高い書院造の座敷ですが、杉戸の板絵・高い欄間の紋様・釘隠し・襖の引き手・天袋の小襖等に瀟洒で繊細な意匠が施されており、何よりも墨絵でありながら写実性の強いリアルな応挙らしい絵画が埋め尽くされた空間は、公家好みの天台宗らしい書院建築といえるのでしょう。レベルは違いますが園城寺光浄院・勧学院と似たタイプの建物です。ところで鈍翁は茶室に密教美術や王朝絵巻物を持ち込んだ張本人で、国宝に指定されている仏画「十一面観音像」を掛軸に改造して床に飾ったりしていたわけですが、この応挙館のような公家好みの天台宗の瀟洒な空間だからこそ合致したのかもしれません。ここで「源氏物語絵巻」や「紫式部日記絵巻」あたりも持ち込んだのでしょう。

 

  

 応挙の絵は「一之間」には、松竹梅を題材にした春の間を、「二之間」には芦雁を描いた秋の間を表現しているそうで、特に床を効果的に使って立体的に生き生きと松を描いた一之間と、平面に湖面の情景を静かに描いた二之間と表現手法にコントラストを持たせており、比較してみると興味深いです。現在はデジタルコピーでレプリカが入っており、たまに本館で展示されています。鈍翁はここで大茶会として知られた「大師会」を毎春開催し、互いの自慢の茶器の見せ合い大会を開いていましたが、日本美術史上最大の暴挙とも呼ばれる「佐竹三十六歌仙分断」もここで行っており、何かと話題になった建物でもあります。現在は定例で毎月第三日曜日に「応挙館茶会」が催されており、自由に参加が出来ますし、また毎月第二木曜日と第四日曜日に茶室ツアーも行っているので、内部の見学が可能です。

  



 「東京国立博物館」
   〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
   電話番号 ハローダイヤル 03-5777-8600
   開館時間 AM9:30〜PM5:00
   休館日 月曜日 12月28日〜1月1日