野﨑家旧宅 （のざきけきゅうたく） 重要文化財
国内の製塩はもっぱら海水を煮詰めて抽出する手法が古くから行われていました。欧米の様に岩塩に恵まれず、海に囲まれた島国なのに湿潤に富む気候の為に天日干しにも向かず、海水を汲んで濃いかん水（濃い塩水）を作り、それをさらに煮沸して塩を採取するという、非常に手間隙かけて塩を作り出してきました。これは現状でも変らず、電極と膜を海水に入れて化学反応によりかん水を作り出しそれを煮沸するイオン交換膜法というシステムにより、普段流通している塩が製造されています。1972年（昭和47年）以降製塩は全てこのイオン交換膜法によりますが、それまでは全国各地の海浜には幾つもの塩田が造られ、特に潮の干満を利用して塩田に海水を呼び込む入浜式が江戸期から多く行われ、高度経済成長期の昭和30年代までは製塩の主流となっており、内海や湾の干潟で数多くの塩田が見られたようです。瀬戸内沿岸はこの干潟が多く、晴天率も高いことから製塩業が発達した地域で、今でも赤穂や伯方は塩のブランドとしても広く知られています。岡山県の今は倉敷市に編入された児島地区も瀬戸内沿岸の温暖な港町ですが、その一方で古来塩田開発が盛んだった場所で、この一帯の塩田経営で成功し塩田王と呼ばれた野﨑家の豪邸が残されています。
野﨑家は初代武左衛門が江戸後期に児島一帯の塩田開発を行い莫大な富を得た一族で、特にこの武左衛門が一代で塩田王と呼ばれるほどの成功を収めた立志伝中の人物。農民の小倅にすぎなかった武左衛門は着眼点が鋭かったようでまず18歳の時に足袋製造販売を始めて成功し、次に晴天率が高く（岡山は全国トップ）干満の差が激しい近在の気候条件から塩田開発を思いつき、1829年（文政12年）に足袋で稼いだ富を元手に浜辺を購入し入浜式塩田を造り、さらにドンドン塩田開発を進め1863年（文久3年）には児島周辺で161haもの大塩田地帯を構築したパワフルな実業家でした。その功績から岡山藩からは五人扶持・苗字帯刀（野﨑家）を許可され、大庄屋も拝命したとか。明治期以降も製塩業を中心に事業を展開し、現在もナイガイ塩業として製塩業を行っており、この邸宅も事務所として稼動中。豪壮な長屋門が一際目を引くこの豪邸は1833年（天保4年）から1852年（嘉永5年）にかけて建造された建物群で、ちょうど武左衛門がその塩田開発による莫大な収益で絶頂期にあたる頃に次々に建造されており、その贅を凝らした造作に目を見張る大豪邸です。敷地は約3000坪で、建物の殆どが国の重要文化財に指定されています。1838年（天保9年）に建造された長屋門を潜って苑路を進むと正面に現れるのが内玄関。ここは家人用の玄関ですが、実はこの裏に会社の事務所があり今も使われているようで、そのせいか建物内には入れません。
この内玄関のすぐ南側には表玄関が続きます。こちらは長屋門の隣にある御成門の正面にあたっており、式台のように正客を迎える為のものですが、藩主や代官などの上客は籠に乗ってそのまま表玄関前の庭へ通じる中門を入って表書院の座敷へ直接向かったようです。この表玄関と内玄関は玄関棟となり、主屋と表書院の繋ぎの場として機能していますが、中は坪庭を備えた設えの良い座敷が並んでおり、今の時代だとこれだけでも充分なほど。ちなみにこの邸宅はやたらと部屋数が多く、平屋なのに全部で30部屋足らず。迷子になりそうなほど広いです。
表書院は1852年（嘉永5年）に建造された貴賓用の接客施設で、木造平屋建ての屋根は入母屋造りの本瓦葺。主屋よりも19年後に建造されており、その間に岡山藩から苗字帯刀を許されたことから、このような御殿様・御代官様向けの歓待設備が必要になったのでしょう。内部は12畳半の上の間と15畳の下の間から構成され、上の間には床・違い棚・付書院を備えた正統的な書院造りの座敷。木目の美しい栂材を用い、波をあしらった欄間や比較的シンプルな意匠は重くなりすぎず、瀟洒で嫌味の無いノーブルな良い座敷です。裏には茶室もあります。
この上の間・下の間の庭側には畳一枚分の入側が走り、さらにその外側には濡れ縁を延ばし、その頭上を一間の深い庇で覆っています。この庇は北山杉の垂木により支えられ、さらにその垂木を長さ十間にも及ぶ長大な地松の虹梁が押さえており、その姿は一民家の住宅というよりは京都の禅宗寺院の客殿や書院を彷彿とさせるものがあります。軒下には水琴窟も有り。
この表書院の周囲は枯山水の庭園が広がっており、築山に石灯籠・石塔や躑躅の刈り込み、さらには黒松・樅・楓・山桃・蘇鉄などの植えられた、明快でバラエティに富んだ御大名向きの華やかな構成のもの。築山の天辺に「観曙亭」という名の茶室もあります。月見用の茶室だとか。ところでこの邸宅はやたらと茶室が多く、建物内に2つ庭園に3つ、計5つが点在しています。
庭園の一番奥には「容膝亭」という茶室があります。裏千家の家元にある名席「又隠」の写しで、窓の少なくてほの暗い四畳半のシンプルな意匠の茶室。「又隠」は千利休が作った四畳半の茶室を孫の千宗旦が模して作ったとされるもので、全国に写しが多いことでも知られていますが、この茶室では躙口の位置が違います（左右逆）。表書院の濡れ縁から飛び石伝いに来られるので、これも接待用なのかも。
表書院の西側、玄関棟の奥にある主屋は、1833年（天保4年）に建造された木造二階建ての大型の住宅建築で、屋根が入母屋造りの本瓦葺。南北に長い建物で、中央部で玄関棟と繋がり南側の庭園側へ中座敷、北側へは向座敷と座敷部が連なり、背部に台所が配置されています。窓ガラスが入っているので明治期以降に改造があったのでしょう。ここも今でも一部が事務所として使われているようで内部へは入れず、その一部しか公開されていません。
中座敷は武左衛門の生活空間だった場所で、確かに一つ一つの座敷は表書院に比べれば簡素な造りですが、実は六間の座敷が直列に並んでおり、その長さは24ｍにも及びます。さらに通り土間を挟んで向座敷三間もそのまま直列に連なっており、庭園側から中座敷を通して向座敷の床の間を九間越しに眺めるという、遊び心も感じられるゴージャスぶり。向座敷は中座敷に比べて数寄屋風の意匠が強くなります。
遊び心と言えば中座敷の庭園側に臨池亭という3つ目の茶室があり、こちらは大きな丸窓が印象的。池はありませんが枯山水の庭があり、表書院と違いこちらはプライベートゾーンらしく樹間に苔生した静かな佇まいのお庭です。
台所は広い土間に高い天井、採光用の天窓や梁組みに格子窓と江戸期の民家建築のパターンを踏襲していますが、やはり事務所として使われているせいか窓ガラスやレンガ等の改造があったようで、どうみても昭和初期あたりの台所にしか見えません。
この台所の裏手は傾斜地になっており、その高い崖面を美しい曲面を描いて石垣が積まれています。明治後期から大正期にかけて造営されたものだそうで、寸分の狂いの無い土木技術の高さが見物。それと敷地内は土蔵が多く配置されており、大蔵・内蔵・夜具蔵・新蔵・書類蔵・岡蔵・味噌蔵と夥しい数の重厚な蔵が林立しています。特に長屋門を入って右手に見える5つの土蔵群は壮観。
「野﨑家旧宅」
〒711-0913 岡山県倉敷市児島味野1-11-19
電話番号 086-472-2001
ＦＡＸ番号 086-472-2636
入館時間 ＡＭ9：00～ＰＭ5：00
休館日 月曜日 12月25日～1月1日
