新島旧邸 (にいじまきゅうてい) 京都市指定文化財
京都御所の北隣に広がる美しい煉瓦造りの洋館群は、関西私学の雄である同志社大学の今出川キャンパス。明治期に建造された校舎や教会がそのまま当初のままに集中的に残るのは珍しく、5棟もの建造物が国の重要文化財の指定を受けています。創立者の新島襄が幕末に単独で日本を脱出し、欧米でリベラリズムの洗礼を受けて自由主義に基づく人間形成の必要性を悟り、10年後に帰国して学校を設立することになって、京都御所の隣接地に土地を求めて開校したのがその謂れですが、そもそもの創立地は今のキャンパスではなく御所の東隣にあたる寺町丸太町界隈で、1875年(明治8年)11月29日に開校されました。この創立地は華族の高松家の邸宅があった場所なのですが、当初は邸宅の半分を借りて開校したものの手狭になった為にか翌年には相国寺門前の旧薩摩藩邸跡に移り、今に見る今出川キャンパスが整えられていったというわけです。元あった高松邸の方はその後敷地を一括して手に入れ、自邸を建てたものが今も残されており、同志社大学が管理運営して季節公開されています。元々は華族の御屋敷だったせいか門構えは瀟洒な和風建築を思わせますが、門の奥には木立に囲まれた二階建ての洋館が建てられています。
21歳から31歳までの青年時代をアメリカでも最もトラディショナルなボストンという都市で生活を過ごしたせいか、やはり洋館がよろしかったようで、当時の流行だったコロニアル様式に基づくもの。この邸宅が建造された明治初期はこのようなベランダ付きの洋館が多く建造された頃で、大阪の泉布観や明治村に移築された西郷従道邸が代表選手。ただしこの邸宅はちょいとばかり変化球で、屋根が寄棟造りの桟瓦葺と和風建築の構造が採用されており、窓上にも障子欄間が入るなど和洋折衷の内容。この当時は後年のコンドルのようなプロの西洋建築家は招聘されておらず、どうやら設計は新島本人が行ったようで、見よう見まねで設計し洋風建築とは無縁の京都の大工で組んだことから、このようなユニークな構成となった模様です。建造は1878年(明治11年)で、京都市指定文化財となっています。
平面は正方形に近く、内部の間取りも田の字型の日本民家によく見られるパターン。漆喰壁に柱や鴨居が露出する和風建築の伝統工法である「真壁造り」で組まれているので、内装も洋館というよりは古民家を彷彿させます。教育の場ということもあるのでしょうが、意匠は至極シンプル。1階は教室として使われた応接室や書斎・食堂が並びます。
2階は居間や寝室が並ぶプライベートエリアで、床は板敷で一部畳敷きの部屋があります。1階の応接間に簡単な暖炉があり、その通気口からダクトによって2階居間の噴出し口へ暖気が流入するように仕組まれていて、当時としては画期的なセントラルヒーティングシステムが採用してあるとか。また京都名物の茹だる様な蒸し暑い夏と底冷えのする冬を乗り切る為に、床を高くして風通しを良くし、屋根の傾斜を緩くして庇を深くするなど居住性を考えた設計がなされており、欧米の生活で合理性を学んだ施主のライフスタイルが反映されているようです。
その他居間には襖の仕切りがあったり、箱階段もあるなど和風建築の意匠があちらこちらに。1階には茶室もありますが、これは新島襄の死後に夫人が洋間を改造したもの。
食堂の奥には台所があり、土間ではなく床は板張りと現在と変らない造り。当時としては珍しいもので、井戸も室内にあります。これも合理性・居住性を考えたものなのでしょう。今でも住み易そうな住宅ではあります。
「新島旧邸」
〒602-0867 京都府京都市上京区寺町丸太町上ル松蔭町
電話番号 075-251-3042(同志社社史資料センター)
開館時間 3月〜7月・9月〜11月の毎週水・土・日(祝日を除く) 京都御所の一般公開日
11月29日 AM10:00〜PM4:00