奈良県物産陳列所 (ならけんぶっさんちんれつじょ) 重要文化財
奈良は戦前の近代和風建築の宝庫で、一見すると古風な神社仏閣に見えてしまう官公庁・駅舎・ホテルが点在しています。例えば日本を代表するクラシックホテルとして知られる奈良ホテルは寺院の庫裏や客殿を思わせ、旧奈良駅舎(現奈良市総合観光案内所)は宝形造りの仏堂に似ています。それぞれ古都の景観を考慮して建造されたわけですが、もう一つの理由として県の土木工事嘱託だった長野宇平治の存在が大きく、1895年(明治28年)に竣工した旧奈良県庁舎は外観を伝統的な和風を纏いながら、近代的な西洋の工法で組まれており、和洋折衷の新しいスタイルによる近代和風建築が完成しています。
この旧奈良県庁舎をプロトタイプとして奈良公園近辺に次々と同じ方向性の建築物が増えていくわけですが、当時は脱亜入欧の欧化主義に対する反動化でナショナリズムが高まり出した時期で、この奈良だけではなく京都でも平安神宮や武徳殿等の近代和風建築が増え出し始めており、時代の空気が変容していく過程が反映されているのでしょう。奈良国立博物館敷地内にある旧奈良県物産陳列所もその空気の流れの中で建造されたものの一つで、現在は仏教美術資料研究センターとして使用されています。
旧奈良県庁舎が竣工してから7年後の1902年(明治35年)に完成しており、この2年後に日露戦争が勃発しています。ちなみに旧奈良県庁舎は日清戦争終結の翌年。奈良公園内の東寄りの場所に、東大寺大仏殿の真南、春日大社本殿の真西に位置しており、南面を正面にして中央部に唐破風屋根による車寄せ付きの玄関部から東西に翼を広げたような平面を持ちます。その姿は宇治の平等院鳳凰堂を彷彿とさせるもので、近隣の日本を代表する社寺に合わせたものでもありますが、ナショナリズムの高揚というテーマにも寄り添っているのでしょう。
桟瓦葺の木造二階建てですが中央部と両翼の階上部は吹き抜けており、実質的には平屋です。平等院鳳凰堂に似せる為のフェイクです。
設計を担当したのは建築史家の関野貞。長野宇平治と入れ替えに技師として奈良に赴き、古社寺の修復事業や平城宮の発掘に辣腕を揮っており、この建物はその影響が色濃く出ています。アウトラインだけではなく細部も虹梁・舟肘木・懸魚・割束・蟇股など伝統的な和風建築の意匠で構成されており、それも飛鳥・奈良・鎌倉と各時代の様式が採用される凝りようです。
その一方で中央部二階の窓にはイスラム風の意匠が見られ、連続する細長い上げ下げ窓は洋風建築の様式であり、内部構造も小屋組にトラスが用いられるなど、実は西洋建築の手法で組まれた建物でもあります。一見するとお寺の様だけど中身の構造は洋風建築となるわけで、やはり先に完成した旧奈良県庁舎と同様の建物となります。但しこちらは外観がより保守的になるのは、建築史家の関野貞のパーソナリティであり、前任の長野宇平治は辰野金吾のお弟子さんですから洋風建築の本流みたいな建築家でしたので、そのキャラクターの違いが出ているのでしょう。
イスラム風の意匠は東大工学部で一緒だった伊東忠太のアジア趣味の影響でしょうかね。ちょっとエキゾチックです。
内部は中央部が吹き抜けの広いホールとなり、両翼にギャラリーが並ぶ構成で、ホールの二階には腕木を伸ばした高欄付きの細い回廊が巡ります。外観と違って和風建築の意匠は高欄ぐらいで、純然たる洋風建築の空間です。国重要文化財指定。
「仏教美術資料研究センター」
〒630-8213 奈良県奈良市登大路町50
電話番号 0742-94-5121(奈良国立博物館)