中銀カプセルタワー (なかぎんカプセルタワー)
首都高では無い東京高速道路(通称KK線)を銀座方面から南下し、新橋駅前の左に折れるコーナーのすぐ横手に、とても奇妙なフォルムを持つビルが聳えています。一本の太い幹を軸に互い違いに枝葉を伸ばした様な外観は、まるでツリーハウスを思わせる風貌なのですが、これは静岡新聞・放送の東京支社ビルで、丹下健三設計によるメタボリズム建築の一つです。ここからさらに東へ浜離宮恩賜庭園方向に進むと、今度はレゴブロックを出鱈目に組み上げた様な不思議な物件がお目見えします。こちらは「中銀カプセルタワービル」という地元銀座の不動産会社の保有する貸しビルで、丹下健三の弟子でもあった黒川紀章設計によるやはりメタボ建築。師匠と弟子によるメタボ建築の競演が都会の高速道路沿いに展開するわけですが、弟子の方から師匠に対するオマージュ的な意味もあったのかもしれません。さしずめ師匠のが樹木なら弟子のはそこに括り付けられた鳥の巣箱。
外観からだと良く判りませんが、中心部に2本の鉄骨鉄筋コンクリートのタワーを建て、その周囲に量産されたカプセルを片持梁によりランダムに計140個を取り付けた構造で、個々のカプセルは交換可能な状態になっています。この新陳代謝するシステムがメタボリズムということなのですが、築40年以上経った現在でも今だに一つも交換されていません。
このビルが竣工されたのは1972年(昭和47年)のこと。当時は戦後の高度経済成長も末期にあたり、ローマクラブによる「成長の限界」が刊行されたばかりの頃で、「モーレツからビューティフルへ」のコピーが流行するなど、行きすぎた成長神話に陰りが出始めた時代でした。そんな最中にまるで対極にあるような自身のポリシーを前面に押し出す、世間の風潮に挑戦状を叩きつけるようなマニフェスト的な作品ということなのでしょうかね。
個々のカプセルは、タワー外部に露出配置された各設備配管に直接ジョイントされ、ライフラインである電気・空調・上下水道等が問題なく配備されています。このコンパクトな居住空間がカプセルとして一体化されてドッキングするシステムは、当時のアポロ計画による宇宙船のイメージが合ったのかもしれませんね。
以前はショールームとしてカプセルが一階に置かれてありましたが、現在は黒川紀章設計による埼玉県立近代美術館の建つ埼玉県立北浦和公園内に移築されています。内部はユニットバス付きのカプセルホテルといった様相なのですが、ベッド廻りのテレビ・ラジオ・電話はともかく、電卓付きのライティングデスクとオープンリールデッキに時代を感じさせてくれます。