妙法寺 (みょうほうじ)
世田谷通りを三軒茶屋から狛江方向に進み、大蔵団地の坂道を駆け下りると仙川を渡るのですが、その仙川の向こうに大きな仏像が慈悲深いお顔を見せて立っておられます。ちなみにこの仏像はぐるぐる回る仏様で、朝9時から夕方5時までは南向き、夕方5時から翌朝9時までは世田谷通りの方向を向いていて、交通安全を祈念している模様です。そんな粋な計らいを見せるお寺は日蓮宗東光山妙法寺で、開基が約350年前というなかなかの古刹です。
ちなみにこの仏様は「おおくら大仏」と呼ばれ、高さ8メートル重さ8トンのブロンズ製で、平成6年秋のお彼岸に完成しました。夜間ライトアップ付き。境内入って右手には樹齢70年の大きな枝垂れ桜があり、3月下旬から4月上旬までこちらも夜間ライトアップされていてるので、近郷の住民の格好の夜桜見物になっている模様です。門も本堂も中々立派な造りなのですが、本堂の裏手の墓所に、落語家で昭和の大名人と言われた八代目桂文楽のお墓があります。
本堂脇の竹林を抜けて墓所に入り、突き当たりを左に進んで一番奥に、文楽師匠のお墓があります。八代目桂文楽、本名益河益義、明治25年(1892年)11月3日青森県五所川原で生を受け、明治41年(1908年)初代桂小南に入門し大正5年(1916年)9月に真打ち、大正9年(1920年)に文楽を襲名。本当は六代目なのですが、八のほうが末広がりで縁起が良いと勝手に八代目を名乗りました。一切の無駄を省いて磨き上げられる精緻な語り口と、澄みわたる洗練された香気漂う芸風は、正統的な江戸落語の第一人者として活躍しました。昭和46年(1971年)12月12日、肝硬変にて死去。法名桂春院文楽益義居士。
文楽師匠の十八番といえば「船徳」「寝床」「富久」「愛宕山」など。いずれも文楽師匠の話が現代のプロトタイプとなっており、特に「船徳」における舟遊びでの描写は、本当にゆらりゆらりと、盛夏の隅田川を川下りしているような心持にさせてくれます。師匠は自分は不器用な人間だから人一倍練習しなければいけないと、じっくりと物事を観察し消化して、それを繰り返し練習して練り上げて初めて口座に噺を上げました。その鋭い観察眼が、「船徳」「愛宕山」に代表される、視野が広く奥行きのある優れた情景描写と的確な人物表現とが相まって、そこはかとなく醸し出されるえもいわれない叙情性が加味されたあの芸術品とも言える至高の噺として結実しているのでしょう。
「あばらかべっそん」とは、文楽師匠が一杯入って良い気分になっている時によく口にする意味の無い合いの手のようなもの。「べけんや」「アバババ会社」「いいざけ(飯坂)の温泉」などの言葉が、酒の席で御機嫌になるとポロリと口にしたそうです。墓石の右面に辞世の句として「いま更に あばらかべっそんの 恥ずかしさ」と刻まれています。
この妙法寺の前の道は狭いながらも緩やかに曲がりくねった古い道で、古木の並木にお地蔵さん、農家に畑と本当にこは世田谷区か?というほどカントリー指向強しです。東宝の撮影所も近く畑のド真ん中に年季の入ったオープンセットの作業所がありました。
「妙法寺」
〒157-0074 東京都世田谷区大蔵5-12-3
電話番号 03-3417-8080
FAX番号 03-3416-7859