睦沢学校 (むつさわがっこう) 重要文化財



 山梨県内には「藤村式」と呼ばれるちょっと不思議な姿の学校建築が点在しています。明治初期に多く建てられた擬洋風建築の一種ですが、有名な松本の開智学校のような装飾性は乏しく大型化もせず、比較的コンパクトでシンプルな意匠で量産された建物群です。これは1873年(明治6年)に県令(知事)として赴任した藤村紫朗が、近代化政策の一環として推進したもので、同時期に山形県令として赴任した三島通庸が山形県内に次々と擬洋風建築を建設したのと同じパターンです。
 この「藤村式」建築の代表的な作品である旧睦沢学校が、近年JR甲府駅前の北口広場にお引っ越しとなり、藤村記念館として公開中。駅のホームからもよく見えます。

 

 この睦沢学校は1875年(明治8年)10月に、茅ヶ岳に近い山間の旧睦沢村(現在の甲斐市亀沢地区)に小学校校舎として建てられたもので、そのまま戦後の1957年(昭和32年)まで実際に小学校として使われていました。その後公民館として再利用され、1966年(昭和41年)に武田神社内に移築されて記念館となり、今度は2010年(平成22年)に現在地へ再度移築されています。現存する同型式の校舎は同様に山間部に多く残こされており、山里にはまだ珍しかった貴重な洋風建築ということか、いずれも役場等にシフトチェンジしてうまく生き延びたということなのでしょう。
 外観は屋根が宝珠造りの桟瓦葺で、外壁に白漆喰を施した木造二階建て。建築面積は189.2u。国の重要文化財指定。
 平面で見ると正方形で、装飾性が希薄で軒の出が浅いせいか立方体が強調されており、中央部に小さな塔屋が乗った姿は地元では「インキ壺の学校」と呼ばれて親しまれていたようです。たしかにどこかユーモラスな佇まいもあるようですね。

 

 藤村紫朗は当地に赴く前に京都と大阪で参事を歴任しており、特に京都は最初に洋風小学校が建てられた土地であり、また大阪は全国で最も多く建造されたことからこの「藤村式」のモデルは京都と大阪にあるようで、例えば1879年(明治12年)に建造された京都の龍谷大学本館と似た雰囲気があります。
 「藤村式」の特徴は、正方形の平面・太鼓楼と呼ばれる小さな塔屋・正面の玄関ポーチやベランダ・隅石を黒漆喰でイミテーション等が挙げられますが、この睦沢学校ではベランダにはコロニアルスタイルの菱組みの透かし打ち天井が見られ、また窓には両開きのガラス戸と鎧戸による二重窓が嵌められてあります。

  

 擬洋風ということは伝統建築専門の宮大工が見よう見まねで造ったものなので、当然和洋折衷のユニークな意匠が随所に見られるものなのですが、ここでも「睦」と彫り込んだ鬼瓦や玄関ポーチの柱を支える礎石等に、和風のテイストが濃厚に感じられます。

  

 内部は一階と二階に教室がそれぞれ一つずつあるのみで、あとは教職員室や小使室があるぐらい。まず通路が無く、中央部に狭くて急傾斜な梯子のような階段があるのみで、便所へ行くのにも教室を通らないと行けません。外観に重きを成した設計がされたようで機能性は度外視されており、新政府の威光を末端にまで知らしめて染み付いた徳川の影響を拭い取り、近代化の象徴としてインパクトのある建物がデザインされたということなのでしょう。

 



 「藤村記念館」
   〒400-0024 山梨県甲府市北口2-2-1
   電話番号 055-252-2762
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 月曜日