水戸市水道低区配水塔 (みとしすいどうていくはいすいとう) 登録有形文化財



 近代化遺産の一つに配水塔というのがあります。明治期以降に都市部における衛生面の拡充を図って上下水道が整備されることになり、西欧の近代式水道設備が導入されて各地に浄水場や給水所が出来ましたが、その給水所において各世帯に水が行きわたるように水圧をかける必要が生じ、水のタンクを建ててその重力を利用して配水するシステムです。当然そのタンクは高塔になる必然性があり、また建築家も色々と凝ったデザインを取りたがるようで、周囲からはとても目立つランドマーク的な存在となり、例えば東京駒沢の双子の塔や、名古屋の東山にある茸の様な姿の塔等は代表的なもの。水戸市の旧水戸城近くにある低区配水塔も同様にこのジャンルの代表的な作品で、今はその役割を終えていますがモニュメントして大切に保存されています。

 

 水戸市に近代水道が整備されたのは1932年(昭和7年)のこと。那珂川から取水して濾過・消毒をし、配水塔にポンプアップして各世帯に配水するシステムで、この際に高区と低区の二つの配水塔が建造されました。水戸市は江戸期の区割りにより旧藩士の住む武家屋敷のある上町と、町人階級が暮らす下町とに分けられていて、上町が高台に下町が低地にある為に同じ配水塔ではまかなえないことから、それぞれ別々に造られています。
 高さは21.6mあり、タンクの直径は11.2m。鉄筋コンクリート製で、中に納められている鋼製水槽は容量は358uとなり、換算すると一般的な家庭風呂1200杯分にあたるそうです。1999年(平成11年)まで現役として使われていました。国登録有形文化財指定。

  

 この塔を設計したのは後藤鶴松。この水戸に赴任するまでに津・鶴見・熱海・舞鶴と各地で水道工事に携わった経験を持つスペシャリストで、その培った経験をいかんなく発揮した作品がこの塔と思われ、起工式に誕生した娘に「塔見子」と名付けた程です。まずその装飾性に目を見張り、二階に木製のバルコニーを取り回し、一階入り口上部のゴシック風のアーチを描き、壁面のロマネスク風の小窓を開けた外観は一介の配水塔とは思えません。一階入り口上部にある梅の中に”水”と彫り込まれた紋様は水戸ならではですが、特に二階壁面のレリーフは消防用ホースノズルを表現しているとかで、消防用としても大いに期待されていた証なのでしょう。

  



 「水戸市水道低区配水塔」
  〒310-0061 茨城県水戸市北見町1-11