老欅荘 (ろうきょそう) 登録有形文化財



 湘南地方の大磯から小田原にかけては、政財界の御隠居クラスが豪邸を建てて、美味しいもの食べて趣味に没頭して気ままに晩年を過ごした場所でした。大磯には伊藤博文や安田善次郎に吉田茂といった面々が、小田原には山縣有朋や大倉喜八郎に益田孝といった老獪な強面衆が集って暮らしていましたが、特に小田原方面は茶に造詣の深いメンバーが多く、益田孝は鈍翁の別名で近代茶人の巨匠と呼ばれるほどの茶三昧を味わいつくした御仁で、源氏物語絵巻や志野茶碗広沢等の国宝級古美術品コレクターとしても名を馳せていました。その益田鈍翁に茶の手ほどきを受けたのが”電力の鬼”の異名を持つ耳庵こと松永安左ヱ門で、鈍翁の住居だった掃雲台に程近い箱根板橋に住まいを移し、鈍翁同様古美術コレクターして辣腕を奮い(国宝釈迦金棺出現図等)、最後の茶人”と呼ばれるほど茶道楽に励んで余生を過ごしました。没後は邸宅共々敷地そっくり小田原市に寄贈されて、今は松永記念館として公開されています。

 

 耳庵はここに引っ越す前は、所沢の柳瀬川沿いの高台に黄林閣という古民家を移築して暮らしていましたが、太平洋戦争終結後はそれまで保有していた古美術品も含めて全部東京国立博物館に寄贈し、戦後の1946年(昭和21年)にこの箱根板橋に転居してきました。当初は約15坪ほどの慎ましやかな暮らしぶりだった模様ですが、順次敷地を広げて今は715坪の豪邸ぶりを見せつけています。園内は門を入って正面に記念館が2棟あり、その前庭には広い池を配して、周囲を石楠花・椿・桃・藤・菖蒲等の草木で彩った庭園で、この庭の端から邸宅だった”老欅荘”へ上がる石段が造られています。石段を進むと現れるのが欅の大木で、この欅から自分の隠居宅を老欅荘と命名した模様です。その老欅荘へはさらに石段を進みます。

 

 当初は6畳の和室に10畳の広間の小さな住まいだったそうですが、茶室「松下亭」や寄付が増築されて今は49坪ほどの広さ。木造平屋建ての屋根は入母屋造りで瓦葺きの外観で、南面の庭に面して雁行する配置となり、そのせいか各部屋とも採光が充分で明るく暖かい空間。まさしく御老体向けの配慮でしょう。

 

 中に入るとまず目に付くのは明るい10畳の広間なのですが、6畳の和室が繋がりさらに9畳分の縁座敷と3畳の床があるので、相当に広い大広間の観を呈しています。床は付書院もある軽やかな数寄屋風の造りで、近代茶人の耳庵らしい意匠です。

 

 後から増築された茶室の松下亭は、すぐ側に大きな松ノ木があったとかで命名されたそうで(今は無い)、4畳半台目の広さ。躙口まわりは大きな連子窓や肘掛窓が開けられている為か非常に明るい空間で、利休風の黙想する求道的な茶室ではなく、数寄屋要素の強い趣味的な茶室空間となっています。吉田茂や池田隼人等も呈茶された模様です。

  

 庭の一角にはかつて黄梅庵という茶室がありました。奈良の今井町にある豊田家にあった今井宗久好みの名席でしたが、耳庵没後宗久縁の堺に移築され、今はその後に市内にあった「葉雨庵」という茶室が移築されています。三越社長だった野崎廣太が1924年(大正13年)に建てたもので、3畳台目中板付きのやや暗い空間で、松下亭とは違う落着いた侘びた佇まいの茶室です。

  



 「松永記念館」
   〒250-0034 神奈川県小田原市板橋941-1
   電話番号 0465-22-3635
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 年末年始