大徳寺高桐院 (だいとくじこうとういん)
京都洛北に広大な大伽藍を擁する臨済宗龍宝山大徳寺は、また茶とも縁の深い寺でした。安土桃山の頃に住持を治めた頓智で御馴染みの一休禅師は、堺の豪商と繋がりが深く、また堺には武野紹鴎や千利休といった優れた茶人も多かったことから、禅と共に茶道も盛んに行われていきました。そんな環境から織部・遠州などの優れた茶人を多く輩出し、等伯・永徳などの絵師が優れた絵画を残し、さらに優れた庭園や茶室が作られていきました。安土桃山から江戸初期にかけての純度の高い至宝とも呼ぶべき芸術品が凝縮された場所と言えます。
本坊の他に塔頭が22頭ありますが、普段公開しているのは4頭のみ。この高桐院も数少ない公開寺院の一つです。戦国時代の大名だった細川忠興が1601年(慶長6年)に建立した塔頭で、院内奥の墓地にガラシャ夫人と共に墓所があります。表門を潜ると鍵状の参道が続き、もう一度門を潜ると中庭が透けて見渡せる玄関の前に出ます。
玄関は渡り廊下となっていて、ここを支点として左右に趣向の違う建物が構成されています。玄関左手の建物は客殿で、仏壇を祀った本堂が中央に配置されており、また右手の建物は書院と庫裏で構成されています。まず向かって左手の客殿に進むと、本堂の前が広い縁側になっており、シンプルながら優美な庭が拝見出来ます。その本堂に隠れるようにして茶室鳳来があります。
この鳳来は、明治末期に裏千家十三世円能斎の好みにより作られた八畳の茶室で、躙口から面皮の板を並べた縁側に上がって室内に入る構造になっています。床も書院も風雅な洗練された佇まいを見せています。
庭の蹲踞には寂びた堂々たる大きな袈裟形の手水鉢が添えてあります。この鳳来の横から庭に出られるようになっており、灯籠が設えてある複雑な構成の露地を飛び石伝いに進みます。
やがて書院の外れにある茶室松向軒が見え隠れしていきます。松向軒の露地には蹲踞と寄り添うようにして小振りな織部形灯籠が置かれています。
松向軒は忠興公(三斎)好みとされる茶室で、1628年(寛永5年)に建造。外観は柿葺で片流れ風な切妻造りの妻に庇を付け、土間庇を作り、妻側に躙口を明けられています。内部は二畳台目に中柱出炉、下座床の構成で、躙口の上は下地窓に内部に片引きの障子が付きます。天井は床前一畳分は野根板に白竹吹寄三通りの竿縁、他の一畳分は掛込天井、点前畳の上は蒲の落天井、廻縁は太竹、樫皮付を混じえたものを使用。中柱には曲がりの少ない赤松皮付、床柱は磨丸太のところどころをなぐり、床框は丸太を無造作に取り付けてあります。壁は茶室には珍しい黒壁なので内部はほの暗いですが、禅寺としての厳しい静謐な瞑想の場といった観があります。
玄関右手の書院には、千利休の屋敷を移築したと伝えられる意北軒があります。松向軒はこの意北軒に付属する形で作られており、この書院の西側から露地に下りて茶室に進むことも出来ます。
「大徳寺高桐院」
〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町73-1
電話番号 075-492-0068
拝観時間 AM9:00〜PM4:30
拝観中止日 6月8日 10月第2日曜日