木下家住宅 (きのしたけじゅうたく) 登録有形文化財



 JR舞子駅を挟むようにして広がる兵庫県立舞子公園、このうち舞子駅の北東に位置する西地区は当初から園地化された箇所では無く、さる実業家の御屋敷が県に寄贈されて公園の一部となったもので、公園というよりは文化財に指定された住宅建築の公開施設です。この舞子界隈は戦前においてはリゾート地でしたので、関西の富裕層が競って別荘を構えた土地柄でしたから、この物件も御多分に洩れずそのパターンの一つなのですが、リゾートということからか比較的洋館が多く作られたのに対して、この御屋敷は和風建築で組まれている点に特徴があり、特に阪神淡路大震災以降は阪神間においてこのような近代和風住宅建築が激減していることを見ても、極めて貴重な物件の一つとなっています。

 

 この御屋敷を構えたのは海運業で財を成した又野良助氏、太平洋戦争勃発直前の1941年(昭和16年)に竣工されており、終戦後の1952年(昭和27年)に鉄工業で財を成し地元明石の大地主だった木下吉左衛門氏に譲渡され、40年以上自邸として使われてきましたが2000年(平成12年)に県に寄贈され整備されて公開の運びとなっています。
 敷地面積は2209u(670坪)あり、南北に長方形の形状となっていて、海のある南側に門が開かれています。ちょうど六甲山系の西端にあたり、海へ向かって緩やかな傾斜地となっている場所で、門側が低く主屋は北側の見晴らしの良い丘上にあります。門を潜って脇に石燈籠も置かれた石段を進むと、主屋の東端にあたる玄関前に到着。

 

 邸宅は木造二階建ての主屋と土蔵・納屋・使用人室で構成されており、南側の庭に面した主屋が東西にH字型に配置されて、背後の北側に土蔵・納屋・使用人室が並びます。主屋は一見すると平屋建てに見えますが厨子付きの木造二階建てで、二階の部分に虫籠窓が開く町家風の外観を持ちます。関西では虫籠窓付きの民家は比較的よく見かけますしね。屋根は切妻造り瓦葺で、軒下に瓦葺と柿葺の庇が取り付く構成になりますが、面白いのが土蔵風の大壁造りとなっており、建築時期の時勢に寄るものなのでしょうかね?まあこの大壁造りのおかげで大震災でも被害が少なかったわけなのですけれど。

 

  

 主屋は東側から洋間の応接室、書院造りの座敷部、そして西側に仏間である書院が南側に並ぶ構成で、応接室の北側に玄関・台所・浴室等が続き、仏間の北側に茶室が続きます。南側の部屋はいずれも庭から出入り可能な床までガラス戸が嵌った状態で、室内はとても明るく開放的な造り。特に応接室は眺望が最も良い場所にあり、遠く淡路島を借景とする雄大な眺望が楽しめたようです(今はビルマンション群で見えない)。
 内装は昭和前期のシンプルでモダンな意匠で、大理石のマントルピースの上のライトにはアールデコ風のデザインが。

 

 

 座敷部は十畳の主室と六畳の中室による二間で、北側には中庭が広がって南北の庭に挟まれた形状。という風通しの良い空間と言う理由からなのか透過性の高い数寄屋風の書院造りとなっており、中室の一角には水屋もあります。広縁の舟底天井や水屋の網代天井、床の間の下地窓など数寄屋風の意匠で組まれていますが、特に竹と桐を材料に多く用いているようで、床柱・違い棚・欄間などに見られます。

 

 

  

 一番西側の仏間と奥の茶室は当初にはなかったようで、1943年(昭和18年)に増築されたもの。という理由なのか他の箇所と違ってここだけ真壁造りとなっており、外観も屋根が入母屋造りとなって町家風というよりは数寄屋風の離れのようです。この主屋は東へ行くほどモダンで洋風になりますが、西へ行くほど古典的な純和風の傾向が強くなる折衷式の物件ですね。庭から眺めて見ると東の応接間と西の仏間がシンメトリーに置かれているのに、マスクはとても対照的です。

 

 茶室は四畳半切台目床の席で、手前に四畳の待合が取り付く構成。待合には大きな丸窓もあります。ここでも竹が多くあしらわれてあります。

 

  

 茶室の北側に土蔵があり、さらにその奥に納屋があります。主屋・土蔵・納屋は国の登録有形文化財指定。

 



 「兵庫県立舞子公園 旧木下家住宅」
  〒655-0047 兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051
  電話番号 078-787-2050
  開館時間 3月〜11月 AM10:00〜PM5:00
         12月〜2月 AM10:00〜PM4:00
  休館日 月曜日