観心寺 (かんしんじ) 国宝



 大阪府南部の河内長野は、奈良時代より開かれた東高野街道と、大阪市内と高野山を結ぶ高野街道とが合流することから、交通の要所として栄えた土地で、高野山が開かれてからは大阪・高野との中間地点にあたることもあって、真言宗の密教寺院が多く作られた場所でした。河内長野は三方が山に囲まれて谷が入り組んだ複雑な地形を持っており、この山裾の谷合に大伽藍の寺が隠されていて、西に金剛寺、東に観心寺があります。
 河内長野駅からバスで10分ほど、市内に程近いのに山深いのに驚かされますが、門前には渓流も流れ、楓も多いので秋の紅葉も素晴らしく、風光明媚な素晴らしい環境にあります。寺域は山裾の緩やかな傾斜地に開かれ、山門からは広い石畳の道が最奥の金堂まで真っ直ぐに伸び、その両側に諸堂が点在して建てられています。創建は奈良時代で、大宝年間(701〜704)に役小角が『雲心寺』を開いたのがその謂れで、平安時代になって空海が如意輪観音を本尊として観心寺と名を改めたとのこと。その如意輪観音が収められたのが金堂で、参道からは石段を昇って辿り着きます。

 

 丹塗り柱の赤と漆喰壁の白とのコントラストとが美しいこの金堂は、室町期の1378年(天授4年)頃に建立されたもので、元々あった講堂の再興と考えられています。外観は桁行7間梁行7間の大きさで、前面に3間の向拝が付き、屋根は本瓦敷きの入母屋造り。高い亀腹基壇(亀腹のように白漆喰で盛り上げた基壇)に広縁を廻した優美な和様の建物ですが、細部に目を凝らすと室町期ということもあってか、大陸的なニュアンスも入り混じっています。屋根の妻飾りは禅宗様の二重虹梁大瓶束が用いられ、柱の組物に大仏様の双斗が入り禅宗様の木鼻を出した、各様式が混在した中世の折衷様式が採られています。

 

 

 内部は内陣と外陣と分かれ、その間に結界として菱欄間と格子戸とで分けた密教寺院独特の構成で、5X4間の内陣の周りに1間の庇を廻らせ、前面を7X2間の外陣としたもの。外陣は組入天井に6本の海老虹梁を渡し、中央4本に蟇股を置き、両端2本に大瓶束をたてて側柱から海老虹梁を渡してあり、特に禅宗様式の色合いが強くなっています。部材の構造を顕にしながら装飾的に美しく見せる大仏様や禅宗様のスタイルが、中世にこのような大規模な仏堂に上手く取り込まれていったもので、この金堂は室町初期の折衷様式の仏堂として代表的な遺構であり、国宝に指定されています。内陣にミステリアスでエロチックな国宝の木造如意輪観音菩薩(秘仏)が祀られています。

 

 金堂の斜向いに少々趣の異なるユニークな仏堂があり、茅葺屋根の桁行3間梁行3間のこじんまりとした佇まいのお堂です。これは「建掛塔」と呼ばれる建物で、呼び名の通り三重塔を建立予定が、願主の楠木正成が湊川戦役により没し為に、一層部だけで頓挫した塔で、屋根は後補のもの。塔婆の部分は普通ですが、茅葺の屋根を載せた事から素朴な仏堂として完結した珍しい事例。国の重要文化財指定。

 

 金堂前の石段を降りて右手に小さな祠があり、訶梨帝母天堂と呼ばれる鎮守堂となっています。室町後期の1549年(天文18年)に建立された1間社春日造檜皮葺きの社殿で、後村上天皇によって再興し楠木正行が監督した謂れを持っています。細部に装飾彫刻が施された優美な建物で、国の重要文化財指定。この他にも境内には書院(国重文・非公開)、開山堂、阿弥陀堂、御影堂などが点在していて、秋の紅葉時期には古建築との美しい情景が繰り広げられます。

 



 「観心寺」
   〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475
   電話番号 0721-62-2134
   FAX番号 0721-62-2133
   拝観時間 AM9:00〜PM5:00
   拝観休止日 無休