神谷伝兵衛稲毛別荘 (かみやでんべえいなげべっそう) 登録有形文化財
今ではちょっと信じられませんが、その昔の千葉市稲毛海岸は別荘地だった場所で、美しい風光明眉な松林の砂浜に沿って、瀟洒な御屋敷が軒を連ねていたそうです。海浜の避暑地といった様相だったようですが、似た様な景観のある鎌倉や逗子に比べて都心から圧倒的に距離が近く、静かな内海というのも好まれたようです。今では京葉工業地帯として埋め立てられ、京葉道路も走ってダンプが往来する情緒もへったくりもない只の市街地に過ぎません。そんなセレブ達の優雅な避暑地の頃の物件はもう殆ど残されてなく、京葉道路沿いにある「千葉市民ギャラリー・いなげ」敷地内にある神谷伝兵衛別荘の洋館ぐらいでしょうか。今ではギャラリーの一つとして市民に広く利用されています。
この別荘を構えたのはワイン王と呼ばれた神谷伝兵衛で、戦前に流行したカクテルの”電気ブラン”を発案したり、茨城県の牛久にあるシャトーカミヤを設立した実業家でした。本邸は神谷バーのある東京浅草にあり、別邸が同じ東京下町の深川にあったようなのですが、晩年になって病気療養の為に温暖な避暑地に別荘を所望したようで、この稲毛海岸が選ばれて1918年(大正7年)に建造されています。ちなみに4年後の1922年(大正11年)に66歳でその生涯を終えています。
当地は海岸段丘の傾斜地で、当時はもう敷地の前が海だった場所にあたり、海を眼前にして西側に木造二階建ての和館、東側に鉄筋コンクリート造の二階建ての洋館が造られました。洋館の外観が正面から見て左右非対称なのはそんな理由から。和館は既に破却され、市に寄贈された後にその跡地に市民ギャラリーが建造されたといういきさつです。
外観は瓦葺屋根と外壁に白い磁器タイルが張られており、当時流行のウィーンセセッション(分離派)の影響。太陽や海の照り返しを受けて光り輝く趣向なのでしょうね。窓下には幾何学模様が穿たれてありますが、これもウィーンセセッションの影響です。また鉄筋コンクリート造の住宅建築としてはかなり初期の作品で、このあたりも本格的なワインの醸造を始めた施主の先進性(新し物好き?)が出ているのでしょう。
避暑地のリゾートということか一階入り口に吹き放しのベランダが設けられており、床に市松模様のタイルが敷かれて享楽的な気分を醸し出します。そのベランダの上部には優美な曲線を描くロマネスク様式のアーチが連なり、おそらくこのアーチの奥に海が見えていたのでしょうね。潮風に吹かれながらここでカクテルかワインでも飲んでいたのでしょうか?ちなみに傾斜地でしたので、入り口は正面の石段から。
内部は一階が玄関ホールと洋間が一つだけ。しかもこの洋間は改造されているので、竣工当時のままではありませんが、テーブル・椅子と暖炉は残されており、特に暖炉は上部にアールヌーボー調の意匠が見られます。当時の流行でしたしね。
玄関ホールのシャンデリアも取り替えられてありますが、付け根の中心飾りや天井を支える持ち送りは当時のもので、特に中心飾りには漆喰で葡萄のモチーフが見られます。ワイン王と呼称された方でしたから、それに因んだ意匠です。
二階は一転して和室が並び、特に十二畳の広間は畳床に螺鈿の付書院や両違い棚を設えた数寄屋風の書院造の座敷となります。和洋どちらでも接客可能ということなのでしょうけれど、特にこの座敷は南側が入側を挟んでガラス窓が並ぶので、採光が良く海の眺望がとても良好。それが目的の座敷なのでは?
そしてこの洋館全体での最大の見所は、この広間の天井と床柱。天井は煤竹を格子に組んだ折上格天井で、その天井を支える様な形で曲がりくねった太い葡萄の床柱が床上にそそり立ちます。さながら天井が葡萄棚で床柱が葡萄の幹を思わせるもので、座敷全体が葡萄畑を表現しているのでしょう。付書院の欄間にも葡萄の図案による透かし彫りもあり、玄関ホールの中心飾り同様にワイン王としてのモチーフが散りばめられた空間です。
入側は数寄屋建築に多くみられる化粧屋根裏天井ですが、何故かコーナーには洋風建築の意匠である半円状のアルコーブ(付属の小部屋)があり、和洋折衷のちょっと不思議な組み合わせ。この空間だけ何故洋風を?国登録有形文化財指定。
「千葉市民ギャラリー・いなげ」
〒263-0034 千葉県千葉市稲毛区稲毛1-8-35
電話番号 043-248-8723
開館時間 AM9:00〜PM5:15
休館日 月曜日 12月29日〜1月3日