鶴林寺 (かくりんじ) 国宝



 播磨国は密教寺院の名刹・古刹が多いお国だったようで、海沿いの平地や川沿いの谷の奥、さらには猪や猿が跳梁跋扈する山塊に、なんでこんな場所にと驚くような立派な伽藍が構えられていたりします。小野の田園地帯にある浄土寺や伊川谷の最奥に佇む太山寺に、山全体が修行場のような書写山円教寺や加西の一乗寺など、建築・仏像・絵画等文化財の宝庫となっている寺院も多く、文化史的な面でとても重要な地域だったことがわかります。畿内地区で発展した洗練された工法や技術が隣接するこのあたりにまで伝播したのと、中世には瀬戸内航路が重要な経済・流通の大動脈でしたからその寄港地が播磨灘沿岸に多くあるので、合わせて数多くの名刹が今に残る理由なのでしょう。山陽道は密教寺院の名刹が多い地域ですからね。
 加古川にある鶴林寺も瀬戸内沿いの平坦な住宅街にある天台宗の密教寺院で、広大な敷地に壮大な伽藍を構える大寺院です。

 

 ところでこの播磨国に残る日本史エピソードとして、聖徳太子由縁の土地と言うこと。なんでも7世紀初頭の推古天皇の頃に太子がこのあたり一帯の水田を天皇から賜ったそうで、今でも姫路の西隣に太子町があり、斑鳩寺というお寺もあります。その頃当地に四天王寺聖霊院という寺を開いたのが始まりだそうで、今でもここは「播磨の法隆寺」とも呼ばれています。まあ伝承に過ぎませんですけどね。平安期には天台宗へと改宗し、鳥羽天皇から「鶴林寺」の額を与えられて寺名も変更、中世には大伽藍を構える大寺院となり、近世以降は少しパワーダウンしましたが、中世以来の伽藍が今でも広大な境内に残されています。ちなみに境内には何故かSL(C11型)も有り。
 築地塀と掘割で囲まれた境内へは橋を渡って参道を進み、江戸初期に建造された仁王門へ。この仁王門は三間一戸の楼門形式で、県の指定文化財。門を潜ると真直ぐ北へと参道が伸び、正面に堂々とした姿の本堂が目に飛び込んできます。躑躅の群落が美しいプロムナードを抜けて、今度は仏堂群に囲まれた本堂前へ。

 

 

 本堂の前は左右に小規模な仏堂である法華三昧堂と常行堂が向かい合わせに建てられており、本堂と合わせて三方を仏堂に囲まれたちょいとした広場となっています。この配置は天台宗総本山の比叡山延暦寺西塔と全く同じであり、東京上野の寛永寺旧本坊も同様なので、天台宗の教義に関連した配置構成なのかもしれません。
 正面に悠然と構える本堂は室町前期の1397年(応永4年)に建造されたもので、外観は屋根が本瓦葺の入母屋造りに、大きさは桁行7間奥行6間。当初は大講堂と呼ばれていたそうで、御近所の姫路にある円教寺も室町期に建造された大講堂が本堂となることから、これも天台宗の教義によるものなのでしょうね。
 重量感があり垂直性の強いそのフォルムは、同じ中世の密教仏堂の中でも異色で、後年の桃山期の大型仏堂の先達のような感があります。鎌倉期に大陸から導入された大仏様や禅宗様が長い年月に練れて和様に消化された折衷様が、ちょうどこの頃にピークを迎えた頃になるので、この本堂にもその最も良い姿が反映されているのでしょう。

 

 細部の意匠にもその折衷様の特性が表れていて、軒の平行垂木や組物の二手先尾垂木は和様ですが、その下の扉は全面に禅宗様の桟唐戸が嵌め込まれており、中備の双斗蟇股も折衷様ならではの意匠。特に二手先尾垂木と双斗蟇股が交互に並ぶ姿はとてもレアなものです。

 

 

 その折衷様の意匠は内部で一層強くなり、密教仏堂らしく内陣と外陣を菱欄間と格子戸により結界として分け、外陣の庇境に柱を林立させて柱上から優美な曲線の海老虹梁で庇を支え、その柱から今度は身舎へと円型断面の虹梁を伸ばしてその上に蟇股を乗せて格天井を受け、内外陣の境には外観同様に双斗蟇股を並べます。特に柱上の貫を多用した組物や海老虹梁は見所で、部材としては決して太くない構造体で丈の高い天井を支えて広い空間を造り出しており、繊細さも感じさせながら精緻に組み上げられています。この強靭な構造体を備えながら洗練された意匠により優美に見せるあたりがポイントで、これが折衷様建築を代表する作品であり、到達点とも呼ばれる理由なのでしょう。国宝に指定されています。

 

  

 本堂前に左右に並ぶ仏堂の内、東側にあるのが法華三昧堂である太子堂。平安後期の1112年(天永3年)に建造された小規模な仏堂で、鎌倉期に聖徳太子を祀る宮殿を構えるようになってから、太子堂と呼ばれるようになったそうです。屋根が宝形造の檜皮葺で、桁行3間奥行3間の大きさに正面1間通りに庇が付いた形状。本堂同様に国宝に指定されています。規模が大きく垂直性を重視した中世の折衷様の本堂と比べ、こじんまりとして水平性を重視したこの太子堂は純粋な和様で建てられており、まるで平安朝の貴族が建てた御堂(みどう)と呼ばれる住宅風仏堂を思わせるものがあります。

 

 細部でも蔀戸や軒下の疎垂木に組物の舟肘木などに、王朝期の住宅建築の意匠を踏襲しています。同時期に多く造られた三間四方の阿弥陀堂建築に1間の礼堂が付いた構成ですが、そのアンシンメトリーな構成に縋破風の庇が付くことによって程良くバランスが図られており、優美な曲線を描く檜皮葺の屋根も相まって、端正でノーブルな印象がこの太子堂には感じられます。
 本堂と共にそれぞれの時代の様式美を代表する作品が並んで建つのはとても稀有なことで、播磨の法隆寺と呼ばれるのも納得のところ。

 

 

 この太子堂の対面にあるのが常行堂。太子堂と同じく平安後期に建造された小規模な仏堂で、屋根が寄棟造の本瓦葺に、大きさは桁行4間奥行3間。こちらも太子堂と同様に平安期の住宅風を思わせる意匠で、蔀戸・舟肘木・丸柱など太子堂と共通する箇所が多々ありますが、礼堂が無いこともあって簡素化されています。国の重要文化財指定。

 

 この他にも、室町前期の1407年(応永14年)建造の鐘楼(国重文)や室町後期の1563年(永禄6年)建造の護摩堂(国重文)、室町期の三重塔(県指定文化財)に室町前期の1406年(応永13年)建造の行者堂(国重文)などが建ち並び、本堂を取り囲むように伽藍が構成されています。
 奥の宝物館では聖徳太子絵伝(国重文)や十一面観音立像(国重文)などが常時拝観できますが、中でもお薦めが「あいたた観音」と呼ばれる白鳳仏の銅造聖観音立像(国重文)。腰のひねり具合がとてもセクシャルな仏様です。

 

 



 「鶴林寺」
   〒675-0031 兵庫県加古川市加古川町北在家424
   電話番号 079-454-7053
   拝観時間 AM9:00〜PM4:30 年中無休