乾邸 (いぬいてい) 神戸市指定文化財
神戸で洋館というと異人館で有名な北野界隈が定番ですが、エキゾチックで小洒落た洋館などではなく広大な敷地にスケールの大きな豪邸の洋館というと、芦屋に近い阪急御影駅界隈ということになります。なにしろこの辺りは戦前から大富豪がきそって邸宅を構えた土地柄で、朝日新聞の創業者の大豪邸(笑っちゃうぐらいの広い敷地に笑っちゃうぐらいのドデカイ屋敷で美術館付き)や武田薬品に野村證券の社長の御屋敷が建ち並ぶ様は、日本に階級は無いとウソついていたのは誰だ!と糾弾したくなるほど。いずれも門のずーっと奥の方に木立に見え隠れするように洋館が建てられていて、絵に描いたような御屋敷群が形成されている関西きっての高級住宅地です。そんなセレブな方々のお住まいなられるとある一角に、やはり門の奥に旧乾邸と呼ばれる木立に見え隠れする洋館があります。表記に”旧”が付くのは前の持ち主が国に物納した為で、今は一時的に神戸市が管理しています。
この乾邸の南側に乾家の邸宅があるので、敷地の一部を建物ごと物納したのでしょう。持ち主であり建物の施主だった乾新兵衛は非財閥系海運業の乾汽船の社主で、二代目の時に当地を購入してその後三代目が住んでいましたが1993年(平成5年)に亡くなってしまい、当時はまだバブル崩壊直後の為に土地価格が高く相続税として国に物納され、本来は更地にする筈が建物の貴重性から神戸市に貸与し、10年リミットで利用案を求めていたものの阪神大震災により市の財政は圧迫して保存どころではなくなって、宙に浮いた状態となった物件です。暫定的にNPO法人がボランティアで月一に内部公開をしていましたが、2009年1月をもって公開は終了し、以後は神戸市指定文化財に認定して転売を許可しない旨で競売にかける話とのことです。悪徳業者に食い物にされなければいいのですが・・・。
敷地は1200坪足らずで南側以外は道路が走り、東南隅に門が開けられています。この門から木立に囲まれた蛇行する苑路を進むとようやく車寄せに辿り着くというお伽話にでも出てくるような御屋敷ぶり。建物は洋館とかつては数寄屋風の和館があったそうですが、大震災により損傷を受けて解体されています。この残された洋館は戦前を代表する建築家だった渡辺節の設計によるもので、延べ面積約300坪の鉄筋コンクリート造と木造による二階建て。なんでも乾家の前の御屋敷が渡辺節の自邸のすぐ上にあり親しかったからとかで、当地には1936年(昭和11年)に竣工しています。渡辺節は昭和を代表する名建築家だった村野藤吾の師匠にあたり様式建築でも知られた設計者で、特にアメリカ調のスケールが大きく明朗でモダンなビルを得意としていましたが、住宅建築も13件ばかり担当しており、その中で今残る作品はこの乾邸を含めて3件のみ。その外観はアメリカ風の都会的なモダンなものではなく、どちらかというとイギリス郊外のカントリーハウス風の田園趣味が強いもので、施主と建築家がゴルフ仲間だったことも影響しているようです。
建物の外観で一番の見所は玄関前の車寄せ。竜山石と呼ばれる黄土色の自然石で壁面と列柱を積み上げ、その列柱と壁面との間にアーチ状の天井を造り、壁面にさりげなく玄関を開くという構成で、特に目の細かいタイルで組まれた精緻な紋様はペルシャ絨毯のような味わいがあり、南欧ではない北アフリカ地中海沿岸のモスクや住宅のような独特なエキゾチズムが感じられます。
その玄関を入ると高く吹き抜けたホールになり、その壁面を階段が取り巻いて北側に大きくステンドグラスが嵌められています。チーク材の焦茶を基調とした重厚な空間で、車寄せとは異なるイギリス風の意匠。この洋館は各箇所の意匠が大きく異なっており、一面性で無い多様性を内包した建物です。壁上部にゴブラン織りの絨毯が掛けられているのはイギリスアッパーミドルクラスの伝統で、ここでは安芸の宮島の図案。
歴史主義に基づく様式美は装飾美であることにもなるので、このホールも装飾がたんまり。草花をあしらった図案が多いのですが特に目を引くのは天井の梁部に施された葡萄の紋様で、このホール以外にもこの葡萄に纏わる意匠をあちこちで目にします。どうやらこの洋館の意匠テーマは葡萄。
ホールの隣に応接間として広間があります。建物の東南隅にあたる日当たりの良い空間で、天井は高く吹き抜けて南側いっぱいにステンドグラスを嵌めたとても明るい部屋。ホールの荘重とでも呼ぶべき小暗い空間とは対照的で、劇的な効果も狙ったのでしょう。高さ5mの天井から径1mの大きなシャンデリアが豪華な雰囲気を盛り上げます。ちなみにこのシャンデアリアは後補。
この広間は17世紀初頭にイギリスで流行したジャコビアン様式の意匠で図られており、いわゆる英国風ルネサンス調とでも呼ぶべき華麗で重厚な装飾に特徴が見られ、特に大理石製のマントルピース近辺にその気配が濃厚です。ここでも葡萄のモチーフによる装飾が見られます。以前はこのマントルピースの壁上に小磯良平画伯の婦人像の絵画が掛けられていた模様。
もう一つこの広間の大きなポイントは北壁に階段が設けられている点で、玄関ホールのとは異なる軽やかで典雅なもの。この階段も意匠が凝った造りとなっており、草花をモチーフとした繊細なもので、広間全体の明るく華やかな雰囲気に花を添えています。ちなみにこの広間は当初は居間だったそうで、こんな壮麗な空間で落ち着かなかったのではないのでしょうか?
広間の奥は意外と狭い食堂で、外観で中央に前に張り出した部分にあたり、広間同様に南面の明るい空間。この食堂もジャコビアン様式で纏められていますが、特に天井の蜘蛛の巣のような細かい漆喰の模様や、鏡の桟部にあたる彫刻が見所。
さらに奥は今度は一転して和室となります。かつてこの奥に和館があり繋ぎの意味もあってこのような和の空間にした模様。長押を打たず下地窓や皮付き丸太を床柱に嵌めた数寄屋風の意匠です。
また機能性・収納性も優れており、空調吹き出し口や和室の収納部があらかじめビルトインされており、とても使い勝手の良い造り。全部で部屋数も16室あり、周囲は六甲山麓の緑多い環境で紅葉時も美しく、映画・ドラマのロケ(「華麗なる一族」)にも度々登場するなど、かようにこれだけ質の高い洋館もそうは無いので、なんとかこのまま現状維持で残していって欲しいものです。