井上房一郎邸 (いのうえふさいちろうてい)
JR高崎駅西口から歩いて数分の位置に高崎市美術館があります。開館が1991年(平成3年)というバブル真っ盛りにスタートした箱モノ行政で、コンクリ打ちっぱなしの外観は時代を感じさせてしまう代物なのですが、内部はコンパクトながら3フロアのスペースを巧みに利用した展示手法で、広い窓の外には美しい庭園の緑も取り込んでおり、ニューヨーク近代美術館(MOMA)ぽい雰囲気もある都市型のギャラリーです。
で、その裏手に広がる庭園は元々美術館用に造られたものではなく既存の御屋敷だった場所で、地元の実業家だった井上房一郎氏の自邸だったものです。以前は高崎哲学堂の名称で管理されていましたが、現在は市が購入して美術館の施設として常時公開されています。
井上房一郎は高崎の建設会社「井上工業」のオーナー社長だった人物で、戦前の若かりし頃に8年程パリ遊学したことから文化芸術方面に造詣が深く、地元群馬でオーケストラや美術館の設立に貢献したパトロンだった御仁。工芸品の開発も手掛けていて、ぞのデザイナーとしてブルーノ・タウトを高崎に招聘したのもこの方です。そのタウトが産み出した優れた作品の数々は自店舗のショップ「ミラテス」で販売していましたが、軽井沢にあったその店へ来訪して知遇を得たのが建築家のアントニン・レーモンド。チェコ出身のモダニズム建築の大家と友人となり、戦後の1951年(昭和26年)に東京麻布の笄町に建てたばかりのレーモンドの自邸を訪ね、その建物の美しさに惹かれてコピーを造ることを思い立ち、レーモンドも快諾して図面を借りて大工に実測させて、1952年(昭和27年)に完成したのがこの邸宅です。
木造平屋建ての東西にとても細長い建物で、ちょっと長屋風の雰囲気もあります。敷地面積が1669uで建築面積が191u。屋根は鉄板葺の切妻で、壁面は杉材を縦板に張り、前面に深い軒を伸ばしてタタキの土縁上まで覆います。
東端から建物全体の長さ三分の一辺りの箇所が南側に向けて大きく抉れており、中庭(パティオ)として開け放たれた空間となります。廊下を挟んで北側にはガラス戸の玄関が付く構成で、南北に風が通り抜ける透け切った構成となり、日本の伝統建築である数寄屋にも通ずるような意匠です。日本は高温多湿ですからね。
それとこの中庭を挟んで東側に応接間でもある居間が、西側に寝室や食堂・台所などの生活空間が続くので、フォーマルとプライベートとのエリアを分ける意味もあるのでは。レーモンド邸では居間の奥に渡り廊下で事務所棟が続いていましたから、仕事場の延長の様なものだったのかもしれません。パティオはちょっとした用事にも使えますね。
レーモンド邸とはこのパティオを中心として左右逆転で配置転換されており、レーモンド邸では西側に居間、東側に寝室・台所・食堂が並んでいました。居間は床が絨毯の敷かれた広い一室ですが、天井が無く屋根裏が剥き出しで、中央に置かれた暖炉のダクトがそのまま屋根裏をのたうっています。戦後まもない頃ですから物資が不足気味で、シンプルかつコスパ高い建築が求められたのでしょう。
南側は柱筋が壁面から外れて独立している為に制約が無くなり、敷居をずらしてガラス戸が嵌められているおかげで全面がガラス戸なる開放感の高い空間で、庭木の美しい眺めがワイドスクリーンで広がります。北側の屋根近くに障子による高窓もあり、柔らかな外光が室内に降り注ぎます。
壁のカウンターはレーモンドのノエミ夫人のデザインによるもの。
資材不足は構造体を露出する方向になるわけですが、ここではそれを逆手にとって構造体自体を美しく見せる方針が取られており、杉の丸太で柱と梁を挟み込む「鋏状トラス」が考案されて随所に見られます。禅宗様の寺院建築が、構造体を繊細に優雅に見せるのに似ていますね。屋根裏をそのまま見せているのも、茶室の化粧屋根裏天井に近いのかもしれません。意外と日本の伝統建築様式の影響があったりして。
パティオを挟んで反対側の寝室も同様に、天井板が無く暖炉とダクトが剥き出しのままです。中央に置かれたテーブルはノエミ・レーモンドの、椅子はタウトのデザインによるもの。
隣には夫人が茶道を嗜んでいたので炉の切られた8畳の和室と変わります。(レーモンド邸にはない)
「高崎市美術館」
〒370-0849 群馬県高崎市八島町110-27
電話番号 027-324-6125
井上房一郎邸は、3月〜11月 AM10:00〜PM6:00
12月〜2月 AM10:00〜PM5:00