猪股邸 (いのまたてい)
近代数寄屋の巨匠と呼ばれる吉田五十八の晩年の住宅建築が成城の御屋敷街に残されています。成城学園駅にも程近い成城五丁目の閑静な住宅街に、一際美しい生垣と武家屋敷のような門構えを持つこの御屋敷は、民間調査機関の労務行政研究所理事長だった猪股猛氏夫婦の邸宅として建てられたもので、1967年(昭和42年)五十八が72歳に時に竣工した作品。現在は世田谷区へ寄贈されて、(財)世田谷トラストまちづくりが管理運営して公開されています。
敷地は580坪あり、北半分に建坪100坪の平屋の住宅と、南半分にアカマツやカエデ等の樹木と杉苔を植えた庭園が広がっており、「猪股庭園」の名称で公開されています。
施主が武家好みだとかで、装飾性を避けて簡素ながら格調高い意匠で統一されており、その趣旨は門からしてすでに現れています。この門の裏手は茶室の待合も兼ねており、つまりここはもう露地の一部というわけです。玄関へ向かう飛び石とは逆方向に飛石や延段が続きます。
玄関はタタキが瓦の四半敷きで禅宗寺院で多く見られるもの。禅と武道との繋がりからでしょうか?玄関ホールは正面に飾棚があり、左奥に茶室へ向かう渡り廊下が見えます。
100坪もある延床面積ですから大きな屋根が掛けられてしまうところ、ここでは坪庭を2ヶ所配して小刻みに屋根を組み合わせており、周囲に威圧感をあたえることなく穏やかなラインでまとめられています。南側から見ると屋根が三層構造に出来ており、少しずつ前にずらしながら屋根が伸ばされています。関東は冬は晴天の日が多いので庇を深くしても陽光が部屋奥まで入り込み、夏の照り付ける日差しを遮るにはこの深い屋根・庇が有効なのでしょう。
内部は東側の玄関ホールから、一体化された21畳分のリビングルームと8畳分のダイニングルームに、夫人室・和室・書斎が直列に東西に並ぶ平面構成で、全て南向きの庭園に面した部屋。何れの部屋も間仕切りの無い開放的な空間で、特に庭側が全て引き込み戸となっている為に戸袋に収納可能となり、シネラマのように庭園の風景が室内に入り込んできます。この大胆な意匠は吉田五十八の得意技で、京都の北村邸でも同様のものが見られます。
数寄屋建築に洋風の意匠が入るのも特徴の一つで、ここでも洋間の居間に壁全面に床の間が入っています。柱を極力減らして壁を主体に構成し、棚や戸袋を避けたシンプルな空間は、モダン数寄屋の伝道師だった五十八らしい意匠です。
和室は洗練された数寄屋風の広間となります。武家好みながら洋間の多い邸宅で、茶室以外ではこの邸宅唯一の和室。長押を嵌めず付書院も無く、床の間には違い棚や戸袋も無いシンプル過ぎる五十八らしい造りです。
ちなみにこの邸宅は茶室以外は名工と呼ばれた水澤文次郎率いる水澤工務店が担当しており、吉田五十八との数あるコラボでは代表的な作品。
和室の奥に書斎と1畳台目の茶室があるのですが、これは1982年に増築されたもので五十八の設計ではありません。書斎はここだけ庭園側に出た構造となっており、やはり引き込み戸により庭園の風景が大胆に取り込まれた空間です。茶室は黒壁にヘラで紋様を入れた仁和寺遼廓亭と同様の趣向で、裏千家家元の名席「今日庵」の写し。
玄関ホールから続く渡り廊下は、適度に折れ曲がりながら茶室へ至ります。この廊下の構成が絶妙で、まず門側からは防犯も含めて邸宅の一部として居間や庭園を隠す役目を持ち、門裏の待合から延ばされた踏石がこの廊下に開けられた躙口にも通じて茶室の一部として機能し、そして玄関前庭と主庭との結界として大きな意味を持たせています。
居間からは離れのように見える茶室は四畳半の間取りで、こちらは裏千家家元の名席「又隠」の写し。貴人口が付くのが違いますけど。増築された書斎北側の茶室も裏千家家元の写しなので、施主が裏千家に師事していたのかもしれません。
居間からは飛石により待合や中門も備えて躙口までキチンと露地も造られており、蹲踞や燈籠も配された本格的なもの。
庭園は3つのブロックに分けられており、渡り廊下で分断される玄関前庭と主庭、その主庭も光悦寺垣によって茶室前の露地庭と邸宅前面とに分けられています。それぞれ趣が異なり、特にほの暗い茶室周りと広々として明るい邸宅南庭とは対照的。この光悦寺垣も結界であり、風景に程良いアクセントです。
「猪股庭園」
〒157-0066 東京都世田谷区成城5-12-19
開館時間 AM9:00〜PM4:30
休館日 毎週月曜日 12月29日〜1月3日