伊庭家住宅 (いばけじゅうたく) 安土町指定文化財
琵琶湖周辺はヴォーリズ建築が目白押しの地域、それもそのはずヴォーリズが近江八幡の商業高校へ英語教師として赴任し、伝道師としても布教活動に勤しんでいた場所なので、ヴォーリズ所縁の物件がごまんとあります。元々母国アメリカのコロラド大学で建築を学んでいたので、すったもんだで教師の職を解かれた後も建築家として当地に留まり、当時はまだ珍しかった洋風建築を次々に設計していったというのがその理由。近江八幡市だけでも現在25軒程の建物が残り、一悶着あった豊郷小学校とか醒ヶ井郵便局に今津図書館など、県内あちらこちらにヴォーリズ物件が点在しています。まあ牧師さん兼教師だったので、教会や病院・学校などの公共建築が多いのですが、幾棟かの住宅建築も残されてはおり、現在もお住まいになられている物件が殆どなのでお邪魔することは叶わないのですが、近江八幡の隣町である安土町に、伊庭家住宅というヴォーリズ建築が残されていて、町の郷土館として季節公開されています。
この伊庭家は住友財閥の二代目総理事だった伊庭貞剛の四男伊庭慎吉の邸宅だったもので、1913年(大正2年)にヴォーリズが手がけたかなり初期の物件。伊庭慎吉は資産家の息子らしく若かりし頃にパリに留学していたそうで、このような洋館を所望したのかもしれません。建物は木造3階建てで、屋根は急傾斜による切妻造りの天然スレート葺き。このスレートは当時は国内では入手不能なので、イギリスから輸入されたものだとか。外壁は山小屋風のハーフティンバーに煙突と、英国風のカントリースタイルなのですが、何故か玄関部は屋根が入母屋造りの桟瓦葺の純和風という不思議な取り合わせで、おまけに周りは田圃や畑が続く長閑で正しき田舎でもあったりするので、かなり浮きまくった物件でもあります。
この玄関は実は裏の出入り口で、本当の玄関は反対側にあるのですが、敷地の半分が町の保育園となっているので、そちら側は閉鎖されています。この2つの出入り口は共に和風の設えで、特に真っ当な玄関のほうは床の間が付いた8畳敷きの数奇屋風の趣。茶室の寄付みたいな部屋です。ここと裏の出入り口とは一直線に長い廊下が伸び、ここも網代天井と数寄屋風の造りで、本当にヴォーリズがこれを設計したのかいな?と疑問符が付いてしまいます。
伊庭慎吉は近所の沙沙貴神社の神主にも就いていたそうなので、全面的に洋風にするのではなく、和洋折衷の意匠が採用された模様。ということでこの建物は外観は洋風、中身は和洋ゴッタ煮的なヴォーリズ建築としてはかなり異色の物件となり、特に1階は和室が並び、10畳の客間と6畳の仏間の間の襖には、極彩色の春と秋をモチーフにした絵が描かれた、高級料亭みたいな座敷です。
その隣の6畳の居間も、天井は皮付き丸太の竿縁を這わせた舟底で、壁には下地窓を開けたやはり数寄屋風の意匠。夫人の部屋だったそうで、こじんまりとした落着いた座敷です。
1階には洋室は1つだけ。食堂だった部屋だそうで、天井はハーフティンバーに壁には暖炉が付いた真っ当な洋間。ここは外にサンルームがあるのですが、どうやら増築された箇所らしく、元は庭へ下りるポーチだった模様。この家は増改築が多かったらしく、ヴォーリズの趣をとどめている箇所は少ないのかもしれませんね。
階段部はこてによる波のようなユニークな文様を付けた漆喰の壁なのですが、どうやら修復作業が行われたらしく途中まで進んだところ、どうも上手くいかなかったようで中断しています。
2階は一転して洋間が並び、夫妻の寝室や書斎などが並びます。なんでも慎吉は画家でもあったらしく、近江八幡の商業高校の美術教師でもあったとかで、2階の1室がアトリエとして使われていました。やはり壁に暖炉があるのですが、石積みの農家の竈のような感じ。部屋の扉も寺の杉戸だかを貰ったそうで、両面に滝とか蘇鉄だかの絵が描かれた面白い逸物が嵌められており、天井も含めてこのあたりも和洋ゴッタ煮の不思議な空間となっています。
「安土町郷土館」
〒521-1343 滋賀県蒲生郡安土町大字小中字在所前191
電話番号 安土町教育委員会文化体育振興課文化財係 0748-46-7215
開館時間 主に春・秋公開で、日曜日のAM10:00〜PM3:00