法華寺 (ほっけじ) 重要文化財



 東大寺転害門の前から真直ぐ西へ伸びるのが一条通りで、平城宮にぶつかる東側が佐保路、その先から西大寺までの西側が佐紀路と呼ばれるエリアとなります。この一条通りは平城京の区割りで言うと一条南大路にあたるそうで、平城宮の左右に広がる皇室や豪族の住まう高級住宅地だった場所です。今でも閑静な住宅街に県立奈良高校や一条高校に国立奈良教育大付属中など進学校が密集する文教地区でもあり、平城京を開いた聖武天皇や光明皇后の御陵や、在原業平住居跡の不退寺に清楚な佇まいを見せる尼寺の興福院などの名刹古刹が点在しており、観光客と鹿でうざったい奈良公園や奈良町周辺とは異なる、静かな散策が味わえるスポットです。
 その佐保路と佐紀路との分岐点にあたるのが法華寺で、ここも豪族の藤原不比等の邸宅の跡地だった場所。隣接する平城宮内裏の真東にあたる一等地なので、不比等死後も娘の光明皇后が皇后宮をここに構えており、そんなこともあって境内全域が国の史跡の指定も受けていたりします。

 

 その光明皇后も夫の聖武天皇が崩御した後に、父と共に菩提を弔う為に寺院を建立することになり、8世紀中頃に「法華滅罪之寺」と命名された尼寺を当地に開きました。当然皇室ゆかりということで門跡尼院であり、聖武天皇が関わった東大寺が総国分寺となっているように、この法華寺も総国分尼寺となっており、金堂・講堂・東西両塔が建ち並ぶ壮大な七堂伽藍が構えられて隆盛を極めていたようです。
 が、平安遷都後は衰退して伽藍は全て喪失してしまいましたが、桃山期の慶長年間に淀君の寄進により再興されており、規模が大幅に縮小化されていますが諸堂が再建されています。ただし天平期のスケールの大きな大伽藍ではなく、本堂に客殿や書院と茶室が渡り廊下で繋がり、その周囲に優雅な庭園が広がる御所風の佇まいで、尼院らしく女性的な優しげな表情を見せる陣容となり、別名「氷室御所」とも呼ばれています。斑鳩の中宮寺と帯解の圓照寺(山村御殿)と共に大和三門跡尼院の一つにも数えられています。
 境内はグルッと築地塀が囲んでいますが、南側の一条通り沿いに2ヶ所ほど門を開いており、そのうち西側の門が淀君寄進の南門で、国の重要文化財の指定。やんごとなき方達等のVIP向けの門で、門の奥には正面に本堂が見えています。普段は東側の文字通り赤い赤門で出入り。

 

 その本堂も同時期に淀君が寄進した仏堂で、関ヶ原の戦いの翌年の1601年(慶長6年)の建造。外観は奈良で多くみられる本瓦葺の寄棟造で、大きさは桁行が7間の奥行が4間となります。これも国の重要文化財指定。
 この本堂は講堂として再建されたようで、本堂の南側に当初の本堂があったのかもしれません。南門前の一条通りが2段に鉤の手に走っているので、本来はこの築地塀と南門はもう少し南に位置し、その南門と現本堂との間に仏堂があっても違和感はないでしょう。同時期に豊臣秀頼が再建した東寺金堂や、近所の唐招提寺や薬師寺も同様に南門-金堂-講堂で配置されていますし。
 また古材を転用して組まれていることも特徴の一つで、鎌倉期の部材で柱や虹梁が組まれています。講堂として建てられたこともあり内部は畳敷きの広い一室で、土間の多い奈良の仏堂では少々異色。中央に須弥壇があり、ここに本尊である国宝の十一面観音菩薩立像が祀られています。光明皇后をモデルにしたと伝えられるそのお姿は妙に肉感的で、右足の親指を反らせて浮かしたあたりもやけに艶めかしさが感じられ、同時期に制作された河内長野の観心寺如意輪観音菩薩像にも共通する真言密教の奥義とでも言うべき神秘性が濃厚です。非仏ですが春と文化の日前後に御開帳。
 ちなみに20世紀までは真言律宗の寺院だったようで、今は光明宗という単立宗にシフトチェンジしてます。

 

 でこの本堂の裏側に連なるのが客殿や書院群。こちらは淀君とは無関係のようで、江戸期の寛文年間(1661年〜1672年)に修学院離宮の造営で知られる御水尾上皇の皇女である高慶尼が入寺して整えられたものです。その際に御殿風の建物を移築したと考えられており、仙洞御所移築説もあるようです。本堂横にその御殿へ至る参道がありますが途中で矩折りとなる為に屋根しか見えず、しかも遠いので何もわかりません。玄関前には仙洞御所から移植した梅の古木があるのですがやはり矩折りで遮られるのでこれも見えず。以前は春秋期に内部公開されており、雅やかな御殿の内部を拝見できましたが今は中止されており、雛祭りの頃に東書院だけ公開が許されています。
 県指定文化財の客殿を中心に東書院と「上の御方」と呼ばれる奥書院が東西に並んでおり、何れも切妻屋根に深い庇を添えた優美な佇まいで、内部も12の部屋に華やかな障壁画や調度品で彩られた貴族階級の住宅建築となっています。

 

 

 この客殿の前には池を中心とする500坪の広い庭園があり、山状の土橋が印象的な優雅な王朝風の造り。こちらも客殿同様に仙洞御所のコピーとの言い伝えがあるようです。何よりも初夏の杜若が有名で、春秋期の庭園の公開も6月上旬まで開いています。国の名勝指定。

 

 

 本堂前のやや離れた東側にあるのが鐘楼。これも淀君寄進の建物で、1602年(慶長9年)の建造です。
 この鐘楼の北側の築地塀で囲まれた一画には、「からふろ」と呼ばれる浴室があります。光明皇后の発願により創建された建物で、皇后が造った施薬院や悲田院と同様に庶民層の為の福祉施設として造られたものです。内部はスチームサウナとなっており、実際に大正期までは使われていたとか。今ある建物は江戸中期の1766(明和3年)の建造で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

 

 そのからふろのさらに北側には、光月亭と呼ばれる茅葺屋根の茶屋があります。奈良郊外の月ヶ瀬村の庄屋である東谷家の古民家を移築したもので、土間と座敷が田の字に並ぶ四間取りの平面構成。18世紀頃の建造と見られており、土間の天井は簀子を張って野太い梁を渡した、野趣あふれる山間部のプリミティブな構造です。法事等の客間として利用されているようですが、この光月亭の南側に慶久庵と呼ばれる茶室があるので、寄付としても機能させているようですね。ここへも書院から渡り廊下で繋がります。県指定文化財。

 

 



 「法華寺」
   〒630-8001 奈良県奈良市法華寺町882
   電話番号 0742-33-2261
   拝観時間 AM9:00〜PM5:00 無休