彦部家住宅 (ひこべけじゅうたく) 重要文化財
桐生市郊外の山裾に広大な敷地を持つ彦部家は、近郷では”彦部館”と呼ばれる中世の城郭のような御屋敷で、周囲を空堀や土塁で固め、搦手口や物見砦もある戦国時代の武将の館がそのままパッケージされた場所です。渡良瀬川の右岸、高さ90mの手臼山の砦の東麓に開かれ、敷地は東西約130m南北約110mの約6600坪の広さに、主屋・長屋門・隠居所・文庫倉・穀倉が点在しており、全て国の重要文化財に指定されています。屋敷の正面には長屋門があり、奥に隠居所も見えています。
長屋門を潜って正面に見えるのが主屋で、敷地のほぼ中央にあたります。この彦部家は7世紀の天武天皇まで遡る旧家で、室町期には足利将軍直参の武士となり当地に赴任し、その後江戸期に帰農し豪農として養蚕や染織を営んできました。建物群も江戸初期以降のものが多く、この主屋も17世紀前期と推定されており、関東でも最も古い民家の一つに数え上げられています。
外観は屋根が茅葺の入母屋造りで広さは間口19.2m奥行13.1m、内部は面積の半分が土間になり、土間に面して並列に3部屋づつ計6室の構成で、東側に縁側があります。座敷部はオクザシキ・オモテザシキ・ナカザシキ・ウラザシキとあり、このうちナカザシキは仏間のある居間となり、床が畳ではなく竹簀子が敷かれた部屋で、板が高価な時代ではこの竹簀子が流通していました。また応接間となるオクザシキは南面を壁とした薄暗い閉鎖的な空間で、その隣のオモテザシキは天井がなく屋根裏が丸見えのプリミティブな設えと、建造の古さを物語っています。
土間は天井部に梁組みを見せますが、比較的細い木材で組まれており、大黒柱がありません。北西隅に馬屋があります。
主屋の奥には北面に15mX8.5mの突出部があり、ここは明治期に増築された染織の工場でした。その北側に文庫倉と穀倉があります。共に江戸後期の建造。
長屋門の隣には隠居所があり、”冬住み”と呼ばれています。屋根が茅葺寄棟造りのこじんまりとした建物で江戸後期の建造。南面に縁側をまわしたニ室の構成で、陽当りのとても良い老人には優しい建物です。
敷地北側の門には防御用の食い違い構造の搦手口があり、その隣には櫓台が盛られています。
さらに敷地の東側は手臼山の砦となり、その山裾は竹林や杉林が広がっています。竹林は孟宗竹と真竹の二種類あり、建物の構材としても利用されています。竹林には氏神として石積みの八幡宮と稲荷社の祠もあります。
主屋の南面は池泉回遊式の庭園が広がり、その東側は竹林が繋がります。楓の木が多いことから紅葉時期にはことのほか美しく、お茶会などのイベントも行われているようです。この豊かな自然環境が、中世屋敷の名残を留める敷地内の、大きな魅力になっています。
「彦部家住宅」
〒376-0013 群馬県桐生市広沢町6-877
電話番号 0277-52-6593
開館日 土・日・祝祭日
開館時間 AM10:00〜PM4:00