箱木家住宅 (はこぎけじゅうたく) 重要文化財
神戸の山田町地域にある箱木家住宅は、現存するものとしては日本最古の民家です。三ノ宮駅から神戸北町行きの特急バスに乗り、新神戸駅から六甲山のドテッ腹を貫く新神戸トンネル内を時速100km以上の猛スピードでカッ飛び、約15分程で神戸電鉄の箕谷駅に到着して、さらにそこから衝原行きのバスに乗り換えて終点のバス停近くにあるのがこの箱木家住宅です。神戸は海側と山側では大きくその景観が変わり、六甲山系から北側は田畑と牧場とゴルフ場ばっかりのとてつもなくカントリーな風景が広がります。新神戸トンネルは異次元を往来するワープトンネルのようなもので、ハイセンスな神戸タウンと長閑な山村とがほんの十数分で結ばれる不思議な場所。でこの箱木家のある山田町地域は古民家が多く残っていた場所のようで、箱木家以外にも阪田家・栗花落家等の「千年家」と呼ばれる中世にまで遡る古民家が点在していたようです。今は何れも焼失し現存していませんが、この土地の地理的な特殊性がエアポケットのように地域を密封して、このような古民家を残した一因なのでしょう。箱木家も中世の室町期に建造されたと見られる、「千年家」の一つです。国の重要文化財指定。
箱木家は、当地の山田庄の地侍だった家柄で、江戸期には庄屋も務めていました。現在も箱木家の当主が管理しています。現在建てられている場所は当初からのものではなく、1980年(昭和55年)にダム建設によって移築を余儀なくされ、70m程南東の当地に移動しました。その移築時の解体復元の際に細かく検証作業が行われ、移築前は6間取りの横長の1棟による建物でしたが、嘗ては3間取りの主屋と2間の離れとに分離独立していたものと判明し、移築後はその分棟型で復元されています。主屋は大きさが桁行11.4m奥行8.4m、屋根が入母家造りの茅葺。その茅葺の屋根が覆いかぶさるように深く低く葺き下ろされ、その下を土壁により周囲を塗りこめた閉鎖的な造りで、千年家に相応しいプリミティブな外観です。
内部は正面右半分が「にわ」と呼ばれる土間になり、左半分が「おもて」「おいえ」「なんど」による3間の部屋が並ぶ構成。「にわ」は台所兼作業場だった場所で、竈と東南隅に馬屋があります。なんといってもその構造に特徴があり、屋根下の上部構造と土間に立てる柱とが分離独立しており、上部は細い柱や梁が不揃いに並び、その構造自体を土間上のやはり林立する細い柱で支える構成で、後年の民家で多く見られる大黒柱を屋根裏まで立て太い梁を咬ませ、差鴨居で支える強靭な構造とは大きく異なります。柱を省略した高くて広い後年の民家構造と違って当然広い空間は作れず、土間は柱が多くなり、窓も少ないこともあってか異常に暗い空間となっています。
3つある部屋は畳は敷かず全て板張りで、「おもて」には囲炉裏が切ってあります。柱間は不規則になり、床や棚など装飾的な設備は一切無く、柱に壁板や床板は手斧の蛤刃が残る、真に原始的な意匠。古式の工法によって建造された、洗練という言葉とは一番無縁な民家です。
「おもて」の前面は縁側となり、離れの縁側と同じ高さで隣り合っていて、連絡のスムーズさが図られています。主屋と離れの屋根は重なり合うように接近しており、水はけを考慮して真下に雨落溝を通してあります。
離れは江戸期に建造されたようで、江戸末期に主屋との間に2間の部屋を挟んで一つの棟としていた模様。主屋同様に入母家造りの茅葺屋根で、内部は畳敷きの座敷が2間並ぶ構成です。それぞれ「北の間」「南の間」と呼ばれ、江戸期の建造らしく床の間や付書院もある書院造の部屋で、江戸期に庄屋を務めていた家柄ですからこのような上客向けの施設が必要だったのでしょう。「南の間」の前には庭園も広がります。「北の間」の付書院の裏手に衝原湖があり、嘗てこの箱木家があった場所が見えています。
「箱木家住宅」
〒651-1264 兵庫県神戸市北区山田町衝原
電話番号 078-581-1740
開館時間 4月〜9月 AM9:00〜PM5:30
10月〜3月 AM9:00〜PM4:30
休館日 無休