西光寺船屋形 (さいこうじふなやかた) 香川県指定文化財



 江戸期に大坂より西国の大名達が、参勤交代で江戸へ向かう時に、瀬戸内海を船で渡って大坂まで行き、そこから陸路で東へ向かうルートが採られたようで、その航海用に御座船という船が使われました。当時は幕府が大型船の建造を禁じていたので「関船」と呼ばれる中型船を用いていたようですが、もう戦乱の世でも無いことから軍船の機能としては無くなり、豪華な装飾品や有名絵師の手による絵画等で構成された御殿のような船で航行していたようです。今でいう大型豪華クルーザーみたいなものなのでしょう。明治期になって当然不要になり、次々と廃船になっていったようですが、その屋形の部分だけを切り離して茶室として使われた物件が3件ほど残されており、その内の多度津藩の物が宇多津町の西光寺の境内に移築されています。
 ちなみに残りの二つは、神戸の相楽園内に移築されてある旧姫路藩の物と、熊本城天守閣内に移築された旧肥後藩細川家の物。それぞれ国の重要文化財の指定を受けていますが、この多度津藩のも県の文化財の指定を受けています。

 

 多度津藩六代目藩主京極高典が幕末の1864年(元治元年)に建造した御座船が元になっているようで、廃藩置県後の1869年(明治2年)に西光寺の住職が数両で払い下げ、屋形部分を境内の礎石の上に据えられたのが今の姿。
 外観は屋根が切妻造りの桟瓦葺で、木造二階建て。大きさは全長が7.4mで、東側で2.08m西側で1.86mと船の形に合わせてか台形状になっています。全般に木割は細く、花街のような艶やかな朱塗りが目にも鮮やかな数寄屋造りの建物です。

  

 内部は一階が3部屋で、中央の三畳間が「御座の間」、襖を挟んで西側の三畳が「御次の間」、そして東側が階段のある部屋の構成。「御座の間」は床や違い棚も設けられた藩主用の座敷で、天井や長押も外の舞良戸と同様に朱塗りで統一されています。二階は二畳間が2室と一畳間の構成で、こちらは屋根が舟底になります。
 柱の金具には京極家の家紋である菱四つ目の定紋が入っており、構造体の朱塗りと黒漆と金具とのコントラストも雅で美しく、スケールも小さく作られていることから、建築物というよりは繊細な美術工芸品に近い印象があります。炉は切られていませんが、今でも茶事が行われているようですね。

  

  



 「西光寺船屋形」
   〒769-0200 香川県綾歌郡宇多津町2198
   電話番号 0877-49-0300
   船屋形は非公開 1月15日・3月16日・5月21日・8月22日・9月23日と3月上旬の「うたづの町家とおひなさん」
   に合わせて公開