厭離庵時雨亭 (えんりあんしぐれてい)



 嵯峨の釈迦堂(清涼寺)の西門から二尊院へと抜ける道すがらに、厭離庵への小さな道標が道端にポツンと置かれています。民家と民家との間の細い小径を進み、鬱蒼と生い茂る竹林を抜けると、丈の低い築地塀に小さな山門が開かれています。普段は非公開のお寺ですが、11月から12月上旬にかけての紅葉の時期に公開される、嵯峨の紅葉の名所の一つです。

 

 このあたりは藤原定家の別邸である小倉山荘があった所で、定家が当地で小倉百人一首を編纂したとの謂れがあるのですが、実は定家の父である宇都宮頼綱が出家し蓮生と名乗り、ここに隠棲して中院山荘という草庵を編み、それを定家の息子である為家が住んだ場所でした。その後荒廃していたのを江戸中期に定家の子孫である冷泉家が修復し、近所の天龍寺の下に入って臨済宗の寺院となり、明治期以降は尼寺として運営されていましたが、近年は男僧に変わっています。
 そんなわけで雅な王朝文学に由縁を持つお寺ですから、その佇まいはとても儚く優美で、嵯峨野のイメージにぴったりと嵌りますが、何しろ紅葉の時期は狭い境内が人でごった返すので風情もへったくりもありません。時期をずらせて人のまばらな時に、書院の縁側に座ってボッと過ごすには良いお寺です。

 

  

 定家の小倉山荘には時雨亭と呼ばれる庵があったそうで、この厭離庵にも1923年(大正12年)に同じ名前の茶室が造らています。山門を入ると苔庭の中を石畳が続き、萱門に沿って折れ曲がります。このまま進めば庫裏・書院の方へ向かいますが、門を潜ると萱門の裏側は待合となり、そのまま茶室へ至ります。つまり山門から萱門までが外露地、萱門の中は内露地となっており、周囲の竹林も含めて寺全体が既に茶事の空間となっているわけです。

 

 境内は山門と萱門のある東側が低く、書院・庫裏のある西側が高くなっており、時雨亭は庫裏の横に崖上のような位置に置かれています。屋根が茅葺の入母屋造りで妻入り、素朴な田舎家風の外観です。

 

 この茶室の特徴は既存の名席のモチーフを繋ぎ合せた様な構成にあり、まず入口にあたる南側が広縁として吹き放しになっており、これは西芳寺湘南亭に由来するもの。紅葉や新緑を愉しむにはうってつけの意匠です。

 

 内部の間取りも四畳枡床向切の構成は、大徳寺聚光院枡床席によるもので、床脇の付書院にある櫛形窓は、桂離宮新書院から。さらに天井が傾斜のきつい化粧屋根裏となっていますが、特に広縁側の傘を窄めた形は、高台寺傘亭によるものです。
 かように名席の様々な意匠のコピーが充満している茶室で、あまり肩肘を張らない近代茶室ならではの遊戯的な感覚で組まれているようです。

 

  

 奥の庫裏の並びに書院があり、こちらは1910年(明治43年)に建造されています。主室である八畳は端正な書院造りの座敷で、炉も切られているので茶室としても機能できます。因みに手前の六畳の次の間との欄間に扁額が掛けられていますが、この「厭離庵」は霊元法皇の命名だとか。

 



 「厭離庵」
  〒616-8427 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2
  電話番号 075-861-2508
  拝観時間 11月1日〜12月7日 AM9:00〜PM4:00