大善寺 (だいぜんじ) 国宝



 甲州の勝沼から塩山を経て山梨市にかけての、いわゆる甲府盆地の東部にあたるこの一帯は文化財の宝庫で、国宝や国重文に指定された建造物・絵画・彫刻・工芸品が数多く眠る地域です。武田信玄所縁の場所だけになるほど納得なのですが、葡萄や桃等の国内でも屈指の果実栽培の盛んな地域なので、どこまでも続くなだらかな葡萄畑の広がる田園地帯にポツンポツンと文化財スポットが点在する、かなり緩い環境。その葡萄園が130箇所以上もある勝沼の一番東端の柏尾地区に大善寺という古刹があり、やはり国宝や国重文の文化財を数多く保有しているのですが、さすが勝沼らしく葡萄の栽培も行っていて、ワインまで自寺ブランドで出しており、法要にはそのワインが振舞われるという中々面白いお寺です。民宿としても営業中。この大善寺は桜の名所として近在では知られていて、葡萄畑にソメイヨシノが咲くという乙なコラボ。

 

 大善寺は、718年(養老二年)に行基が開基した寺院で、平安期には天台宗の霊場として栄えましたが、幾度かの焼失を経て鎌倉期に今の伽藍が整いました。今は真言宗に改宗。門前を走る甲州街道沿いに山門と客殿・庫裏が建ち並び、仁王門の奥の参道を進むと本堂である薬師堂があります。山門は1798年(寛政10年)に建造された三間一戸の二層による大型の門で、内部両脇に金剛力士像を安置。この山門は県の重要文化財指定。
 この山門を潜ると長い石段が待ち構えています。ソメイヨシノが特に多い場所で、春は桜のトンネルに変身します。

  

 石段を昇りつめると正面に大きな仏堂が御目見えします。本堂にあたる薬師堂で、国宝に指定されています。建造は鎌倉後期の1286年(弘安9年)で、関東甲信越では最古の、東日本における代表的な仏堂。大きさは17.4mX17.4mの5間四方で、屋根は寄棟造りの檜皮葺。重量感漲る堂々たるその風貌は、どこか古武士を髣髴とさせ、四方のすっくと延びた軒先は、刃の切っ先のように緊張感を孕んでおり、絶妙なバランスを保ちながら美しいフォルムを見せています。

 

 建造されたのが鎌倉期のせいか大陸から大仏様や禅宗様が導入され始めた時期で、この薬師堂も和様建築を主体にしながら一部大仏様が混入されています。外観では組物の木鼻に見ることが出来、内部の虹梁や組物の繰形にも見られます。この大仏様を含めて外観の豪放さに比べて細部は複雑で精妙な構造を備えていて、柱や梁は木太い物が採用されていますが軒の垂木は細く、二手先の斗供に軒支輪を付けた手の込んだ意匠が見られます。古代の仏堂に中世の様式が混入され始め、京から遠方の地であることからその導入に時差が生じて、このような特殊な外観が出来たのでしょう。屋根も瓦葺ではなく檜皮葺の点や、土壁でなく板塀である点も同様のことが言えます。
 内部は3間X2間の内陣の側面と背面に1間の化粧屋根裏の庇を回し、その前面の5間X2間を外陣として間に結界として菱欄間や格子戸で区切った、密教寺院らしい構成。外陣は虹梁を架けることにより、柱や壁が省略されて実に広々としており、また結界部の菱欄間と格子戸は上が吹き放しなので余計に強く感じ、密教寺院特有の密室感・閉塞感は全然ありません。このあたりにも地方性があるのかもしれません。壁には煤けて剥落していますが金箔が貼られており、武田家の加護を受けていた名残なのでしょう。内陣には国宝に指定された大きな厨子に本尊の薬師如来像が収められ、両脇に大きな日光・月光菩薩像、小さな十二神将像がズラリと並びます。何れも国の重要文化財指定の彫刻群で、平安期から鎌倉期に制作された写実性の強い仏像。多少アニメ的にデフォルメした感はありますが、建物同様に堂々とした力強い彫刻群です。

 

 

 この薬師堂の回りもソメイヨシノが乱舞して咲き誇り、お花見に楽しむ方が多々来参。
 客殿には池泉鑑賞式の庭園が広がり、座敷に座ってのんびり楽しめます。県の名勝に指定されていて、宿坊での晩飯はこの庭園を眺めて頂く乙なもの。自寺ワインも出るそうです。

 

 



 「大善寺」
   〒409-1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
   電話番号 0553-44-0027
   FAX番号 0553-44-3153
   拝観時間 AM9:00〜PM4:30