望景亭 (ぼうけいてい) 登録有形文化財



 国宝姫路城をグルッと取り囲む御壕の西側は、観光施設が建ち並ぶ東南北ブロックと異なる閑静な住宅街で、その一画にポツンと姫路文学館があります。播州ゆかりの文人の足跡を展示公開する公共施設で、建物を安藤忠雄氏が設計したことでもよく知られていますが、このコンクリート打ちっぱなしの安藤建築のすぐ横に、瀟洒な和風の住宅建築が建てられていたりします。てっきりこういう公共施設にありがちな貸し出し用の茶室だろうと思うとさにあらず、実は元々ここはさる実業家の御屋敷だった場所で、この和風建築群はその御屋敷の遺構の一部だったもの。敷地の大半が市に売却されて、老朽化した建物を破却した際にこの建物だけがそのまま残されることになり、あとの更地に公共事業で文学館が出来たというわけです。その為に他の姫路市内の公共施設とは異なる住宅街のド真ん中にあるわけです。

 

 元々この土地は姫路きっての実業家だった濱本八次郎氏の別邸で、1万5千坪の広大な敷地に1916年(大正5年)から1929年(昭和4年)まで13棟の建物群を次々と建造して、大豪邸を構えていた場所でした。特に戦前は皇室の方々も度々お立ち寄りになったようで、賀陽宮が姫路在住の際は宿泊所としても使われ、姫路の迎賓館とも呼ばれていたようです。その後は人手に渡り、戦後は1958年(昭和33年)に市が購入して結婚式場として使われていたようですが、さすがに老朽化して取り壊すことになり、最も整った大広間と茶室以外は破却して今の文学館が建ったということです。大広間と茶室以外にも移築された物件が少しはあり、まず園内に入る棟門と唐破風の玄関は大豪邸の名残です。

 

 玄関から中に入って廊下を進んで最初の部屋は洋間。これは新築されたもので、写真やパネルで由来が展示されています。以前の建物にも茶室の前に洋間があったようなので、近い構成を復元したのかもしれません。

 

 さらに廊下を進むと茶室になります。「雄徳庵」と命名された池の畔に建つ茶室で、外観は屋根が切妻造りの桟瓦葺に、池側の南面と西面はガラス戸の嵌った明るく開放的な造り。大正前期に建てられたものです。

 

 内部は八畳の小間と水屋からなり、小間の南面と西面に小石敷きの土縁を回してその外部に全面ガラス戸を入れて、池越しに大広間を望む趣向。この茶室は裏千家の家元にある寒雲亭に似ており、特に天井の一部が舟底で、丸太の棟木通しに野根板を張って割竹の打上げとする、「真行草」の天井と同様の趣向です。また水屋との欄間は桂離宮の笑意軒と同様の四連の丸い下地窓を開けるなど、各箇所に散らばる凝った意匠が見所。

 

 

 渡り廊下でさらに奥へ進むと大広間。池を挟んで茶室と向き合う大型の書院建築で、外観は大きさが桁行14m奥行11mに屋根が入母屋造りの桟瓦葺による木造平屋建てです。茶室同様に大正前期の建造。内部は18畳の主室と12畳の次の間からなり、襖を取っ払って計30畳の大宴会場として結婚式が行われていたのでしょう。そのせいか床や付書院も大ぶりな意匠です。

 

 

 でもよく見ると中々凝った細工も見られ、まず襖の引き手は陶器の皿、欄間は桂離宮新御殿の卍崩し、5間半にも及ぶ継ぎ目の無い長押と、宮様が長逗留しちゃうぐらいのグレードの高い内部空間です。池側は全面ガラス戸が入り、高欄付きの縁側が走る明るく眺望の良い部屋で、姫路城の天守閣も望めます。「望景亭」は裏千家の家元が命名したそうなのですが、この素晴らしい眺望がその由来。

 

 

 もう一つこの建物の特徴は各所に板絵が嵌っている点で、孔雀・鶏・紅葉・白梅などの図案が極彩色で描かれており、河鍋暁斎の子である晩雲の作ではないかと見られているようです。これもかつての大豪邸だった頃の名残です。

  

 茶室と大広間との間は池を中心とした庭園となり、滝や石橋に石灯籠も設えられた純和風の造り。姫路城の天守閣も借景となっています。

  



 「姫路文学館」
   〒670-0021 兵庫県姫路市山野井町84
   電話番号 079-293-8228
   FAX番号 079-298-2533
   開館時間 AM10:00〜PM5:00
   休館日 月曜日 祝日の翌日 12月25日〜1月5日