船の時間待ちをしていて、偶然元島の文化財保護委員をしていた、木村さんと知り合い、米山のことを伺うことが出来ました。当時丁度中島に逗留していた米山を、この島にも招いて書を揮毫して貰おうということになり、まずは酒の席を構え、米山のお相手を出来る酒豪を五人集めもてなしました。その時注連石の揮毫とともに書いて貰った五人の書は、全て島に残っているそうです。山本発次郎はこの島にも蒐集に来ますが、大金を積まれても誰も手放さずに大事にしたからです。
注連石に書かれた文字「孳孳・為善」は孟子にありました。「鶏鳴而起、孳孳為善、舜之徒也」。米山は、半農半漁の瀬戸の小島で勤勉に働く人達を見て、日の出とともに起きひたすら善良に働く人達、孟子が理想とした舜王が治める平和な郷で暮らす人達を思い浮かべたのでしょう。
島影に 高縄山や 春の海
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