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北緯33度58分08.55秒 東経132度37分43.83秒
自転車 平坦コース 但しフェリーを利用。
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8−5 忽那八幡宮 松山市中島町 |
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注連石 |
年豊・民楽 |
1895年 5月 |
明治28 |
75才 |
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ここ中島は忽那水軍の根拠地であり、このお宮は、忽那水軍の総鎮守でした。忽那一族は、1184年(元暦1年)藤原道長の裔親賢がここに配流されたことに起源を発します。その後河野氏に服属し、河野氏が秀吉の四国征伐を受けて断絶すると同時に、忽那一族も滅亡しました。
船待ちの時間があったので島を回っていて、お宮の裏のみかん畑の横に、少し気になる石がありました。石そのものは、「大野家代々の墓」と書かれた墓石ですが、石が祀られている小さな丘は、明らかに人の手が加わっています。規模は小さいけど、古墳だと思います。だとしたら、大浦の港を一望に出来、総鎮守の宮の裏に眠るこの人は、何かを知っているかもしれません。
寒凪や 忽那八幡 島巡り
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注連石 右 「年豊」 |
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注連石 左 「民楽」 |
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境内 参道からお宮へ登り口脇にある、大クスノキ。 |
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大クスノキの向こうを少し登った所にある本殿。 |
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古墳状の小さな丘の上に立つ「大野家代々之墓」。 |
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便名 |
大浦 |
野忽那 |
睦月 |
高浜 |
三津浜 |
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便名 |
三津浜 |
高浜 |
睦月 |
野忽那 |
大浦 |
1 |
5:40 |
→ |
5:59 |
→ |
6:40 |
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1 |
6:55 |
7:10 |
7:40 |
7:57 |
8:15 |
2 |
8:35 |
8:56 |
9:13 |
9:45 |
9:57 |
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2 |
10:10 |
10:25 |
10:55 |
11:12 |
11:30 |
3 |
11:45 |
→ |
→ |
12:25 |
12:37 |
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3 |
13:00 |
13:15 |
→ |
→ |
13:55 |
4 |
14:10 |
14:31 |
14:48 |
15:20 |
15:32 |
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4 |
15:50 |
16:05 |
16:35 |
16:52 |
17:10 |
5 |
17:30 |
17:51 |
18:08 |
18:40 |
18:55 |
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5 |
19:10 |
19:25 |
19:55 |
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20:14 |
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自動車と自転車は、高浜からは乗降出来ません。
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人間だけなら、高速艇もあります。 詳細 TEL 089−952−7277 |
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