久万の大宝寺は、札所の四十四番で四国遍路八十八箇所の丁度半分です。四十三番明石寺から80キロあり、歩き遍路にとっては難所の一つです。久万からは逆になりますが、ひわ田峠、葛城神社を経て標高570メートルの下坂場峠を通ります。三島神社のある臼杵は、その峠を越えて広田の中心地までの中間にありました。葛城神社の総代の人から、ここに米山の書いた額があると教えられて立ち寄ったのですが、署名がありません。
その後、鎮守の森と鳥に関することを教えてもらう為、野鳥の会の友人泉原猛さんをお訪ねしました。彼は愛媛の野鳥の生き字引であるばかりでなく、「人も動物、自然界の一員」として、自然保護の実践者です。この辺りの山のことも詳しいので、この額のことも何か分からないか尋ねてみました。
「あーあれは米山のはずです」と、書架から出してくれたのが、久万町教育委員会が学制発布百年記念に発行した「文化財物語」でした。その169ページに,この額に関して、「浅海蘇山(愛媛大学教授)も米山作品の中でも力作であると推賞している」とはっきり書いていました。お宮の前に中田という雑貨店があって、米山はそこに暫く逗留したらしいのですが、よく分かりません。
その後久万町の教育委員会も、色々調べて下さったのですが、年代もいま一つ分かりませんでした。
下坂場 遍路泣かせの 根雪かな
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