国道379号線を麓の砥部町岩谷口から6キロ程山登りをしたら、上尾峠に出ます。更に3キロ程山に向かって走ったら、玉谷小学校というバス停があります。更に脇道を篠谷方向へ2キロほど行ったら、伊雑神社があります。
土地の人に伊雑神社と神社の名前で聞いても分かりません。篠谷集会所と言えば分かります。砥部町が出している緊急避難場所の標識も、「篠谷神社」となっていました。 お宮の下の空き地を整地して、小さな運動場になっています。
明治30年にこの神名石を作ったときの寄付者名簿がありました。
それによると、延べ27名の方が、合計38円50銭寄付していました。明治23年三熊野神社に米山が鳥居の文字を書いたときの謝礼は15銭でした。単純に比較は出来ないかもしれませんが、一つの数字です。
因みに正岡子規の墓誌によると、明治30年代子規の日本新聞記者としての月給は40円でした。
山の宮 ゲートボールに 春うらら
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