この神社は、松山城の西堀端に近い市の中心部にあります。門前に平成6年に建てられた創立110年記念碑がありました。逆算すると明治17年に出来たことになりましょうか。比較的新しい神社です。
注連石の文字「養無・一誠」は、黒住教の教義の中にある言葉であることを、教団の方に教えて頂きました。意味は文字通り、「無を養い、誠を一とする」と解釈してよいようです。
百科事典によると、教祖黒住宗忠が京都に創建した宗忠神社は勤皇倒幕運動の拠点になったとありました。米山も文久3年(43才)に上洛して勤皇志士と交わっていますから、この面で一脈通じるものがあったとしても不思議はありません。。
以下は私の想像が加わりますが、「無」は老子の教えの根幹です。無を養い、陽気に生きることが肝要と教えた黒住教と、米山が好んで書いた老子の教えとも何か通じる物があったかもしれません。
城山に 今日か明日かと 花便り
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