「上善・如水」は老子にありました。「上善若水、水善利万物而不争、処衆人之所悪」即ち、最高の善は水の如し。水は万物を利して争わず、衆人の厭う低き所に身を処する。
しかし、水が人の嫌う低き所を流れたのか、人が水はけの悪い低い所を嫌ったのかは微妙です。
井出神社のすぐ横を奥道後に源を発する石手川が流れています。ここを二キロも下ったら、別ルートで道後平野を潤してきた小野川、重信川とその名も出合いという名の場所で出合い伊予灘に注いでいます。一つの河の治水でも大変です。三つの暴れ河を同時に治めるのは、当時の土木技術では困難を極めたでしょう。それで石手川の堤防は、お城下側を守るため北側即ち市内の側を高く、南の反対側をわざと低く作りました。
そして、土手から外を「永代川」とする代わりに、「無年貢地」として年貢を取りませんでした。
井出神社から、石手川の土手を挟んですぐ向こう側に「若宮神社」があります。ここは井出神社の前のお社です。出水を避けて此処へ遷宮しました。
このあたりで水は、善というよりときに災いの象徴でした。
小春日や 上善の水 石手川
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