ここから道後は、直線距離なら2キロありません。電車線路へ出て城山を迂回するような、大きな道路ばかり通ると、10キロ以上あります。松山城が出来たのが、1602年ですから400年前はこの大きな道路はありませんでした。松山市内には、古い神社は殆どありません。米山の石文が残っている古い神社のある古い細い道を線で繋ぐと、現在は一見脈絡がないような、徳丸の高忍比売命神社から別府の福水神社、ここ三島神社(吉藤)、伊台の客王神社、五明の美津気神社、河中の天一神社まで、自転車なら自然に行けます。それから見るとこの道は、松山城が出来る以前の生活圏を結ぶ道だったのでしょう。
神社の付近は、繁華街からそう遠くないのに、田舎と古い旧家が残った静かな町です。神社の前の一軒の農家で道後へ抜ける道を尋ねたら、丁度収穫した伊予柑の箱詰めをしていた手を休めて、沢山の蜜柑を頂きました。
お遍路に 笑顔をおくる 蜜柑もぎ
|