孔子の教育方針の柱は、「読書」「実践」「誠実」「信義」でした。ここの注連石の文字「文行・忠信」は、論語に「子以四教、文、行、忠、信」とありました。
「日招」の由来ですが、佐々木盛綱(鎌倉時代の武将、長門の守護)が元暦元年(1184年)この地で戦闘があったとき、勝利を目前にして日が暮れようとしている。そこで落日を招いて戦勝したという故事によるそうです。平清盛が、音戸の瀬戸の工事で落日を招き寄せた故事を思い起こさせます。まさに飛ぶ鳥をも落とし、落日をも招き寄せる権勢を象徴する物語りでしょう。
国道56号線をよぎる立派な参道を持った立派なお宮ですが、残念ながら本殿は、近年不慮の火事で焼失してまだ復旧していません。
古い参道には、往事を偲ばせる松の木が何本か残っています。
行く秋や 手をとりあいて 松二本 子規
日招きで 戻して欲しい 老いの春 けん
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