私が16才のときですから、もう半世紀以上前この神社の裏の石手川を挟んですぐ対岸に「石鉄寮」という学生寮があり、私はそこから一キロほど離れた松山東高校に通っていました。
当時は、井出神社のすぐ下に中の川という石手川の分水があり、そこに柳が植えられていて、ちょっとした色町になっていました。寮から学校までは軽い下り坂になっているのですが、そこを自転車で両手を放して疾走していて、思い切り転倒したことがあります。子供ですね、大した怪我もしませんでした。この辺はそんなことが出来るくらい長閑な所だったのです。
米山がこれを書いた時は、それより更に半世紀以上前です。もっと長閑な場末の色町だったでしょう。石手川を背にしているので場末になっていますが、繁華街からも近く、色町として華やいでいたのではないでしょうか。この石柱はそこのお姐様方の心意気だと思います。
春雨じゃ 濡れて行こうぞ 宮参り
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