私は山の人達に少し誤解していることがありました。それは平家の落人伝説などから考えて、山の人達はこれまでどこかで生存競争に敗れて、山奥に住むようになったと思っていたのです。しかし、「野に下る」「下野する」は全く逆です。野に下るのは、政権抗争に敗れることです。
狩猟経済で、木の実と獣を食料にしていた石器時代から縄文時代の人達にとって、山こそ楽園でした。ここから直線距離で6キロほどの上黒岩というところに縄文時代の人達の住居遺跡があります。最初にここ吉井に住んだ人達は、「下野」して、ここに新天地を求めた人達ではなかったでしょうか。
今、吉井神社から高速道路の橋桁を挟んでその昔のユートピアが近く望めます。この一帯を含む東温市は、松山市のベッドタウンとして、新興の住宅都市を形成しています。全国の高校で軒並み志望者数が定員を満たしかねている中で、ここ東温高校は今年も1.5倍の競争率でした。平野の土地高騰と、道路整備、自動車の普及、郊外型店舗の進出が生んだ現象です。
ここは、古くは縄文と弥生の文化の接点であり、今も常に新しい時代の波に洗われています。
小春日や 石鎚山も 鼻の先
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