今は境内にある道標ですが、出来たときは当然道路にあったでしょう。それが何処かですが、西岡天満宮を左に見る位置だとすると、日吉神社から重信の方へ向かうところに、金比羅街道があったとして、そこに在ったのだと思います。
明治に入って金比羅街道が整備されてバイパス化し、お宮のある一帯はローカル化したのでしょう。だから分かれ道に道標が出来たのではないかと想像します。今は小さなお宮ですが、昭文社の広域詳細地図に載っています。この地図は、神社仏閣が、山の中の小さな物まで網羅されている優れ物です。
その後昭和に入って旧11号線が出来、平成に入って11号線のバイパスが出来、ここは自転車で探すのも難しいほど辺鄙な場所になりました。
道標 ひっそりと立つ 藪の中
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