国道11号線から重信川を上流に上る県道152号があります。しかしここは自動車が走れる道ではありません。砕石工場などがある途中までは、比較的良い道路ですが、えひめ酒だる村というキャンプ地を越えてからは、猪道です。実際河原で猪を捌いている人に出会いました。
曲がりくねった細い山道の窓峠の途中に、露出した漣痕化石という岩がありました。7000万年前に大きな地殻変動があってそれが露出した物です。これは見方によれば、その後、7000万年間安定していたと言えないでしょうか。ならばここは太古からの安定した交易ルートだったはずです。関屋という地名もそれに相応しい。ある時期ここに関所があったのと違うでしょうか。縄文時代の人の住んだ山里にも一番近い。この道に繋がる吉井神社のある井内から、又は総河内神社のある河の内からは、四国山脈の久万高原への近道です。
この道は、縄文の山幸彦と弥生の海幸彦を結んだ道でもあったでしょう。道前、道後の呼び名の由来ですが、都の人から見たら手前の関屋一帯は、道前であり、この道を越えた山の向こうは道後でした。
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