正八幡神社のある窪野町は松山市の南の果て、夏は蛍が飛ぶ清流の渓谷の町です。
社は日尾八幡から約三里(12キロ)、三坂方面県道207号から、窪寺跡というはっきりした標識の分かれ道を山へ向って一キロ足らず。自転車は押して登る急な坂。200メートルも押しただろうか、左手に小さな祠があって、そこに一メートル足らずの石碑があり「一千年祭」と立派な文字が彫られていました。
米山憑いた私の目には、この辺で立派な字を見ると全部米山に見える。まして碑に書かれた日付けは、明治31年8月とある。米山78才、米山の円熟期だ。
こんな人目に付く場所に、米山の石文が誰にも気付かれずに存在するのは考え難い。しかしこの祠は、平成11年土地改良工事で天神社と谷田社が合祀移転されたとある。ならば、この小さな碑は、人目につかない田んぼの畦みたいなところに埋もれていたとしても不思議はない。明治31年(西暦1898年)に千年の歴史があったと言えば、延喜式が定められた905年より更に以前から歴史を持つ由緒ある神社だ。
すっかり興奮した私は、早速私の書の師匠であり、米山顕彰会の事務局次長でもあるT氏に電話をしました。T氏にとって私は、たった一人の愛弟子です。ご多忙の中、車で同行して下さったが、一目見るなり「違います」と言われる。そう言われて見ると、米山にしては上手過ぎる。
米山先生、私は決して先生が下手糞と言うのではありません。私の先生に対する忠誠心をにべもなく否定されて、鼻白んだのであります。
ああ〜がっかりした。
日暮れ道 腹はぺこぺこ 吊るし柿
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