老子の中に、こんな言葉が有りました。「大直若屈、大巧若拙、大弁若訥」。
大体の意味は、「真っ直ぐに生きる者は屈する、真に巧みな物は拙く見える、雄弁は訥弁に聞こえる」こんなものでしょうか。
大きな注連石の右側に、「大巧」が小さく書かれていました。自らを「大巧」と呼ぶのは気が差したのか、不自然に敢えて小さく書いたのは「よもだ」か。
「よもだ」は伊予弁で、直訳したらおふざけですが、軽妙洒脱、おおらかという意味合いがつよい。よもだこそ伊予人の真骨頂で、正岡子規も秋山兄弟も大よもだです。
それと伊予の人は「えーかっこし」(見栄っ張り)を嫌います。小さく「大巧」と書いたのは、米山にもかなり屈折した自意識があったのではないでしょうか。
「わいの字を分かる奴が居るか」飲んだくれて下手な字を書いたべーやんが、評価を後世に託したメッセージです。
注連石に 鴻鵠の意気 刻みつけ
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