武智家墓所は、米山の日尾八幡のある伊予鉄道横河原線久米駅から一駅松山側、北久米の近くにあります。
墓誌によると、武智佐太郎工兵伍長は日露戦争激戦地旅順で戦死していました。墓誌の文字はかすれていましたが、「・・・旅順転戦于小平嶋大白山・・・」という字が読めました。靖国神社忠魂史によると、日露戦争の戦死者は、88429柱祀られています。
10年前1997年旅順が、外国人に開放されたのを機会に、日露戦争最大の激戦地旅順の203高地に行ってきました。
旅順港を一望に見渡すこの戦略的拠点の攻防をめぐって、日露の両軍が文字通り肉弾戦を展開しました。信じられないのですが、標高たった203メートルのこのちっぽけな丘の谷とも言えない谷が、一万人を越える兵士の死骸で埋められました。
小平嶋は大連から旅順40キロの丁度中間で、旅順の東20キロにある海岸の丘陵地帯です。一帯は全て激戦地だったのでしょう。「坂の上の雲」で、旅順へ参謀として応援に行く児玉源太郎が、途中車窓から林立する木の墓碑を見て、絶句する場面があります。
百年の 英霊の墓碑 柿たわわ
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