正平19年(1364年)讃岐の国で、南朝に降った細川清と兄北朝の細川頼春と同族の争いが起こります。翌正平20年(1365年)そのあおりを受けて、九州大宰府から伊予郡松前に上陸し進撃して来た河野通尭の大軍と、湯築城(今の道後公園)を守っていた仁木義尹が戦闘になる。
このあたり一帯は、そのときの主戦場で元々久米原と呼ばれていましたが、以来軍森(いくさもり)と呼ばれるようになりました。神社から南へ100メートルほど行くと、小野川沿いの土手道の横に下の写真に紹介した「久米原の戦跡」と書かれた小さな石柱があります。
寒椿 片手拝みの 軍森(いくさもり)
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