四面にびっしりと小さく(5センチ角位)楷書で書かれた墓誌を拾い読みすると、乃万氏は蔵書家だったらしい。米山は、ここで<秋萩帖>を借り巻末の王羲之の書を学んでいます。但しこの書は門外不出だったので、米山は25年間一日も欠かさず通って勉強したと伝えられています。
少し気になったのは、「厳禁奕棊等之戯」との字句があったことです。奕棊は囲碁の別称ですが、ここでは賭け碁を禁じたのだと思います。
因みに、米山は幼時より囲碁を好み五才で初段だったそうです。当時初段は、県内でも殆ど居ません。優に県代表クラスの強豪です。
亡き人の ご恩を照らす 春の月
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