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48-1:坂下

東海道を歩く (48-1:坂下宿:宿跡) ---




(写真は坂下宿のバス停時刻表)

一日1本の不定期バス便しか交通手段が無いという”鈴鹿峠への恐怖”から、早々と目が覚め、
関ロッジを、早朝5:30にスタートします。



でも、辺りは、未だ真っ暗です。

そうか!東京より夜明けが遅いんだ!

真っ暗な中、往時のままの町並みが残る関宿の宿場町の西の端「西の追分」を目指して歩きます。




写真は「西の追分」です。



暗くて、写真では分かりませんが、左が加太(かぶと)峠を越えて奈良に向かう大和街道、
右が旧東海道です。

まだ暗い中、電柱のスピーカーから、いきなり、”野中のバラ”の大きな音のメロディが
鳴り響きます!

6時の時報みたいです・・・

西の追分からは、大型トラックが絶え間なく走る国道1号の歩道を進みます。

間もなく、多分、「転び石」と思われる石が、駐車場の金網の中にありました。



多分というのは、周辺に説明板も何も無いからです。

何度片付けても、街道に転がり出てしまうという伝説の石だそうです。

関宿を抜けてから、ゆるやかな鈴鹿峠へ向けての登り坂が、延々と続きます。

市瀬橋を渡り、旧街道を進みます。



この道は、集落の中を抜けると、再び国道に出るので、暫く国道を歩きます。

国道1号は、大型トラックの廃棄ガスと騒音です。





やがて、ダンプの行きかう国道1号と分かれ、古い構えの家が点在する旧街道に入りました。

旧街道の沓掛(くつかけ)の集落を過ぎると、写真の鈴鹿峠馬子唄会館がありました。





早朝のせいか閉館しています。

(上の写真は、会館の前の道に建てられた日本橋から京都までの宿場名の柱です。)

”坂(坂下)は照る照る 鈴鹿(峠)は曇る 間(あいの宿)の土山 雨が降る”
  

暫く歩くと、再び人家が少し並んでいましたが、この辺が坂下宿(さかのした)の跡らしいです。



坂下宿は、その名の由来の通り、鈴鹿峠の坂下に位置し、鈴鹿峠を控えるために、大きな
宿場町だったそうですが、明治になってから急速に、見る影も無く寂びれたそうです。

今は、本陣跡や脇本陣跡の碑が立っているだけで、東海道53次の中で、最も寂れて
しまった宿です。





明治以降は、国道が少し離れた所を通る様になり、鉄道の駅から遠く、インターネットによると、
不定期のバスが一日に1本通るのみだそうです。

バス停がありました!

バス停の時刻表を見ます。

下の写真の様に、高校が休みの場合は、バスも運休とあります!



なるほど! インターネットの通り、確かに不定期だ!でも、感心している場合ではありません・・・

バス停の時刻表は、何と!

朝の7:38の便のみです!

と言うことは、いったん鈴鹿峠に足を踏み入れたら、次の鉄道の駅であるJR貴生川駅までの
約27キロの山道を膝痛を抱えて、自力で歩き通すしかありません!

いったん足を踏み入れたら、もう引き返すことも出来ないのです!

悲壮な覚悟で、歩き始めます!!!



坂下宿を抜けて、いよいよ鈴鹿峠に挑みます。




バスで行く東海道「第9回-3」(坂下宿〜土山宿)2012.12.8


「48:坂下宿」

坂下宿は、その名の由来の通り、鈴鹿峠の坂下に位置し、鈴鹿峠を控えるために、大きな宿場町
だったそうですが、明治になってから急速に、見る影も無く寂びれたそうです。

今は、茶畑の中に本陣跡の説明板が立っているだけで、東海道53次の中で、最も寂れてしまった宿
です・・・

・松屋・梅屋・大竹屋の本陣跡



坂下宿は、難所の鈴鹿峠を前に控えて、松屋・梅屋・大竹屋の3本陣と、小竹屋の1脇本陣を
かかえる大きな宿場町でした。本陣の名前が、”松竹梅”ですね。

特に、大竹屋は、間口24メートル、奥行45メートルの大本陣で、鈴鹿馬子唄にも、”坂下では 
大竹小竹 宿がとりたや 小竹屋に”と唄われた様に、東海道随一の大店として知られていた
そうです。

でも、現在は、下の写真の様に、ゴミ箱の横に、本陣跡の碑が立っているのみです。 

余りにも寂しい・・・



  (大竹屋本陣跡)

これらの本陣跡などは、写真の様に、何も無い茶畑になってしまい往時の賑やかな栄振りを
示す建物は、明治以降に全て取り壊され、何も残っていません・・・

隣の関の宿場町が、ほぼ江戸時代のまま残っているのに比べると、その差に、時代の移り変わり
の激しさに、茫然としてしまいます・・・



 (小竹屋脇本陣跡)

・法安寺庫裏玄関



本陣の一つであった松屋は、明治時代には、建物の一部と門が、学校の校舎として使用されて
いましたが、昭和35年に、写真の法安寺の庫裏(くり)の玄関として移築されました。 

坂下宿の名残りを止める、唯一の本陣遺構です。

・岩屋十一面観音菩薩(清滝観音)



国道の右手に、下の写真から読みとれる様に、「岩屋十一面観音菩薩」の大きな石碑があります。



自然の岩窟を利用して、写真のお堂が建てられています。

1660年頃に、道中の安全祈願のために、阿弥陀如来、十一面観音菩薩、延命地蔵の3体の石仏が
安置されたそうです。



お堂の左に滝があるので、江戸時代には、「清滝観音」として有名になり、葛飾北斎の「諸国滝めぐり」
にも取り上げられているそうです。

47:関
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