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バスで行く「奥の細道」(その40)「永平寺」(福井県) 2019.10.8





(写真は、永平寺の階段状回廊)

 



曽良は、奥の細道の旅立ちの千住から、ずっと芭蕉に同行して来ました。


しかし、石川県の山中温泉まで来たところで、激しい腹痛に悩まされ回復しないため、
ここで芭蕉と別れます。

更に、福井県の天龍寺で、金沢から同行して来た弟子の北枝(ほくし)とも別れ、芭蕉は、
初めてホントの一人旅になってしまします。

(「山中温泉の別れ」と「天龍寺の別れ」については、「曽良との別れ」を見てね。)

ホントに一人になった芭蕉は、北枝と別れた天龍寺を出てから、ここ「永平寺」に参詣したのち、
富山へ向かいます。


芭蕉は「奥の細道」で、「永平寺」について、以下の様に書いています。


「街道から五十丁ばかり山の手に入り、永平寺を礼拝した。

 永平寺は、道元禅師の開かれた寺である。

 都に近いところを避けて、こんな山陰に教えの跡としての寺をお残しになったのも、
仏道修行に対する深い配慮があったからということである。」


我々の「バスで行く・奥の細道」ツアーは、東京駅から東海道新幹線に乗り、名古屋駅で下車、
名古屋駅からは貸切バスで北陸自動車道を経て、福井県の永平寺へ向かいました。

 

永平寺は、加賀の前田家2代当主・前田利家の菩提を弔うために、3代当主・前田利長が
建立しました。

永平寺は曹洞宗の大本山で、現在も、200余人もの僧侶の卵達が、毎日修業に励んでいます。

 



永平寺の門前町でバスを下車、参道を歩いて行きます。



永平寺の正門の両脇には写真の様に、大きな二本の石柱が建っています。



写真は、昭和5年創建の「傘松閣」(さんしょうかく)の2階の160畳敷きの大広間で、当時の
一流の日本画家144名による230枚の花鳥彩色の天井絵です。



ここの1階は、参拝者の控室や研修・宿泊のための部屋があるそうです。







上の写真は、「大庫院」(だいくいん)で、一階は台所、玄関正面に韋駄尊天が祀られています。



上の写真は、「瑞雲閣」で、大庫院の一部です。







永平寺に於ける修行の細かく決められた日課の合図は、上の写真の様な鳴り物で知らされます。




上の写真の「僧堂」は、修業の根本となる伽藍で、座禅、食事、就寝などを行います。

修業の場であるここでは、一切の言葉を発してはならない規律だそうです。





上の写真は、永平寺の7つの伽藍を繋ぐ「階段状回廊」ですが、全部で300メートルもの
長さがあるそうです。




上の写真は「仏殿」(国宝)の内部です。

壇の上に曹洞宗の本尊のお釈迦様が祀られており、三体の仏像は、過去・現在・未来を
表しているそうです。


また、正面の上に「祈祷」の額が掲げられており、昼や晩の祈祷が行われるそうです。



上の写真の「法堂」(はっとう)は、説法の道場で、朝のお勤めなどの各種法要もここで行われる
そうです。


1655年竣工の法堂は、方丈建築の中に書院建築の要素も見られる国宝です。



上下の写真の承陽殿は、永平寺の開祖の道元禅師の御真廟(お墓)です。

中には、道元禅師の御尊像と御霊骨が祀られているそうです。





写真は「承陽殿」の内部です。 









上の写真は、「鐘楼堂」で、除夜の鐘で有名な大梵鐘は重さ五トンもあり、毎日、朝・昼・夕方・夜
の四回、修行僧が撞いているそうです。




境内を歩いていると、修業中の僧侶や、泊まり込みの社員研修中の若者とすれ違ったりして、
普通の寺にない修業道場の緊張感が漂っていました。

我々の「奥の細道」のバス旅行では、永平寺の境内は自由散策でしたが、余りにも広いので、
写真を撮って回っているうちに迷子になりそうになりました。