本文へジャンプ
07:鴻巣



(鴻巣の商店街の歩道のタイル)


・雛人形屋


 
JR鴻巣駅の手前辺りから、街道沿いに、写真の様な雛人形屋が並んでいます。



 江戸時代から作られていた鴻巣の雛人形は、武家や商家のお金持ちに人気があったそうです。





・勝願寺


 
中山道の左手の奥に、勝願寺という山門、開山堂、鐘楼などの驚くほど立派なお寺がありました。
 
 6万坪の敷地で、関東郡代であった伊奈家の墓があります。







 勝願寺の山門には、写真の様に、あまり怖くない?ユニークな仁王像がありました。



 山門に葵の御紋が使われていますが、これは、徳川家康が頻繁に立ち寄っていたからだそうです。



 また境内には芭蕉の句碑もあります。



 ”けふばかり 人も としよれ 初時雨”

 芭蕉は、ちょうど初時雨に遭遇し、この句を詠んだそうです。

(初時雨の日だけは、誰もが年寄りの心境になって、雨音の趣を感じて欲しい、という意味だそうです。)

・法要寺



 加賀藩が鴻巣宿泊の際の宿にしたそうです。加賀藩ともなれば、本陣等だけでは足りずにお寺にも泊まったということなのでしょうかね。



 これにより、寺の紋所として、加賀前田家の梅鉢の紋の使用が許されたそうです。



 ホントだ!瓦の紋が前田家の梅鉢だ!

・土蔵造りの商家



 鴻神社の辺りは、道の両側に、旧家が点在します。写真の土蔵造りの商家は、今もそのまま営業しています。


・箕田(みた)観音堂







 平安時代の源頼義の守り本尊だそうですが、ここ箕田(みた)の地は、嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏の発祥の地で、平安時代から鎌倉時代にかけての源氏の旧跡が点在します。

・箕田(みた)氷川八幡神社

 境内の石碑には、箕田源氏の活躍が刻まれています。

この隣は、渡辺綱が建てた宝持寺(ほうじじ)です。

 渡辺綱は、当時、羅生門の鬼退治で活躍した「頼光四天王」の一人です。

(武蔵放水路)




・箕田(みた)追分



 鴻巣宿から4キロ位歩くと箕田追分で、左が旧中山道、右が忍(おし)や館林の城下町へと向かう街道です。


(箕田追分の中山道の案内版)



 案内版に従って、左の旧中山道に入ると、写真の様に歩道の無い道を延々と歩きます。


 ダンプとすれ違うときは怖いです・・・







(写真下は、英泉の浮世絵「鴻巣・吹上富士」、写真下は、この浮世絵が描かれた場所を示す碑)



 鴻巣宿から熊谷宿までは、約16キロと、中山道をスタートしてから、初めての長丁場です。


06:桶川へ

08:熊谷へ

        00:目次へ戻る