(写真は、西郷隆盛の末弟の「西郷小兵衛戦死の地」の碑)
前回の「いだてん」金栗四三の故郷の玉名市内巡りの際、玉名市も西南戦争の激戦地であったことを知りました。
西南戦争の「田原坂の戦い」の10日前に、ここ玉名市では「高瀬の戦い」の
激闘が繰り広げられました。
(「田原坂」については、「田原坂・歴史」「田原坂散策」を見てね。)
そして、NHK大河「西郷どん」の主役「西郷隆盛」の末弟である「西郷小兵衛
(こへえ)」が、ここ玉名市の高瀬で戦死しました。
小兵衛は、西郷家の四男で、大家族の末っ子として育ちました。
長じて、戊辰戦争に従軍し、江戸に進軍、更には、東北の緒戦にも参戦して
います。
西南戦争では、小隊長として、ここ「高瀬の戦い」に参加し、「繁根木(はねぎ)
八幡宮」に立て籠もる官軍の大部隊と、激戦を展開しました。
そして、繁根木八幡宮の近くを流れる菊池川の堤防上で陣頭指揮を執っていたところ、銃弾を胸に受けて戦死しました。
享年31歳でした。
隆盛は、年の離れた小兵衛を大層可愛がっており、小兵衛戦死の報を聞いて
号泣したそうです。
という訳で、金栗四三の故郷の玉名市内巡りをした翌々日、再び、熊本駅から
JR鹿児島本線に乗って、30分の玉名駅で下車します。
パンフレットによると、西郷小兵衛戦死の碑は、玉名駅前から鹿児島本線沿いに
東へ徒歩15分とあります。
しかし、私はこの辺りの地理感が無いので、近距離ですが、玉名駅前から
タクシーに乗ります。
官軍が立て籠もったという「繁根木(はねぎ)八幡宮」の前でタクシーを止めて
もらい、八幡宮の前の石垣に残る西南戦争の弾痕跡(写真の赤丸印)を撮影
します。
そして、西南戦争の戦跡巡りのパンフレットの大まかな地図を頼りに、運転手
さんに、西郷小兵衛戦死の碑を探してもらいますが、どうしても見当たりません。
地図上の戦死の碑の辺りの民家の人に尋ねてみますが、知らないとのこと・・・
そこへ、その民家の奥から、おばあさんが出て来て、「西郷小兵衛の墓なら、
我が家の裏の堤防の下にありますよ。」と教えてくれました。
教えて頂いた家の裏の堤防に上がると、堤防下の非常にわかりにくい所に、
小さな石碑らしきものが見えました。
ちょうどJR鹿児島本線が菊池川を渡る鉄橋の付近に、写真の様に、石碑と
説明文がありました。
上の写真の説明文によると、「銃弾に倒れた小兵衛を担ぎ出すため、近所の
橋本家から雨戸を一枚貰い受けた。
西南戦争の終結後に、小兵衛夫人の松子から、橋本家に寄せられた丁寧な
礼状は6通にも及んだ。」とあります。
それにしても、この辺りを見回しても、西郷小兵衛戦死の地碑へ行く道順の
案内板は無く、非常に不親切です。
初めて行く人は、恐らく分からないと思います。
「玉名」と言えば、何と言っても「玉名ラーメン」です。
帰り道に、中でも有名な下の写真の「桃苑」に立ち寄ります。
玉名ラーメンは、トロみの少ない豚骨スープで、あっさりスープの博多ラーメンと、
こってりスープの熊本ラーメンの中間です。(650円)
ぎょうざは、ショウガの風味が効いて食べやすい味でした。
玉名ラーメンで腹ごしらえしてから、路線バスに乗って、立願寺で下車、
「玉名温泉」の「つかさの湯」でひと風呂浴びてから熊本に帰ります。
下の写真の「つかさの湯」は、道路向いの上の写真の「司ホテル」が経営する日帰りの温泉施設です。(入浴料:750円)
温泉は温めのお湯なので、夏場でも気持ち良く入浴出来ます。
広い大浴場には、檜風呂などもあり楽しめます。
(温泉のパンフレット)
(大浴場:温泉のパンフレットから)
(檜風呂:温泉のパンフレットから)
ps. 薩摩街道は、玉名駅の北方に位置し、玉名市の北部を東西に走って
います。
薩摩街道の玉名市の宿場町は、玉名の市街地ではなく、市の北西の外れの
南関町にある「南関(なんかん)宿」です。