電車で行く「薩摩街道」は、前回の「熊本城」に続いて 、
今回は熊本宿の「城下町」を散策します。
薩摩街道は、熊本城の中を抜けて、前回のゴールの「札ノ辻」
をスタートします。
一つ先を左折すると、一新幼稚園に突き当たるので、ここを
右折します。
薩摩街道は、すぐにまた左折して、市電のある道に出ます。
電車道に「諸毒消丸の吉田松花堂」という大きな横看板を
掲げた旧い屋敷があります。
「吉田松花堂」は、江戸末期の創業で、佐賀・鍋島藩の御典医
でシーボルトの弟子だった「吉田順碩」が、熊本に来て、
「毒消丸」(どくけしがん)を創製、販売したのが始まりです。
毒消丸は、今も製造販売されており、動悸、息切れ、夜泣き、
下痢、消化不良などに効くそうです。
因みに、ここ吉田松花堂の跡取り娘は、私と中学校で同じ
クラスで、毒消丸というあだ名でした。
電車通りを進むと、明治7年創業の写真の「長崎次郎書店」が
あり、、現在も、2階で喫茶店を営業しています。
現在の建物は、大正13年建築で、2階の連続したアーチや
軒廻りの装飾に特色があります。(国有形文化財)
当時は、森鴎外や夏目漱石も訪れ、また最近では、村上春樹も
お忍びで来たそうです。
薩摩街道歩きも、この喫茶店で一休みします。
眼下の路面電車を眺めながら、のんびりとします。
長崎次郎書店を出ると、電車通りは先の新町交差点で左へ
曲がりますが、薩摩街道は直進します。
新町交差点周辺の新鳥町商店街は、ノスタルジックな昭和が
漂う町で、写真の江戸創業のおもちゃ問屋「むろや」などが
軒を連ねます。
この「むろや」で、次頁の写真の「熊本城下町歴史鳥瞰図
:文化文政年間」(2,100円)を買いました。
この古地図を片手に、熊本宿の城下町の散策を続けます。
薩摩街道から少しだけ外れますが、ここから電車に乗って、
次の「船場」町の「洗馬橋」電停で下りると、童謡「肥後
手まり唄」で有名な「船場(せんば)」です。
写真は洗馬橋の電停と洗馬橋の欄干です。
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ 船場(せんば)さ
船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと
隠(かぶ)せ
江戸時代、洗馬橋の周辺は、坪井川を行き来して、領内外の
商品を輸送する船の船着き場があったので、「船場町」の地名
になりました。
洗馬橋から、長崎次郎書店の前へ戻って、薩摩街道を直進
します。
少し進むと、明治8年に板橋から石造の眼鏡橋に架け替え
られた、坪井川に架かる「明八橋」があります。
明八橋の脇に「新三丁目御門」跡の案内板がありました。
それによると、江戸時代、明六つ(午前6時)に開き暮六つ
(午後6時)に閉ざされる、下の写真の「櫓門」があった
そうです。
ここは、城下町の出入口で、薩摩街道の要衝だったので、
「新三丁目御門」として守りを固めていたそうです。
明八橋を渡って、雰囲気のある家に突き当たって左折します。
この辺りが「唐人町」で、古い建物が散見されます。
古い建物の中には、未だ、青いビニールシートを被せた地震の
爪跡が生々しい家が点在します。
街並みを見ながら暫く行くと、前方の交差点の一つ手前に
古荘本店があり、ここを右折すると、直ぐに、白川に突き
当たり、左手に次頁の写真の「長六橋」があります。
「薩摩街道」は、この長六橋を渡って、次の「川尻宿」へ
向かいます。
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