(写真は、三国街道沿いの満開の桜と桃の花)東海道・中山道・日光街道の
踏破が一段落したので、現在、「日本の街道(三省堂)」(1,500円)を
読みながら、これからの街道歩きの構想を練っています。
この本は、以前にご紹介した「日本の街道(西東社)」(1,500円)とよく似た本
ですが、街道沿いの歴史上の事件がコンパクトに説明されており歴史ファン
にはこちらの本の方がお薦めです。
街道歩きについて多少の知識を持つ人にとっては要点の復習的な内容に
過ぎませんが、街道歩きに関心のある初心者にはお薦めの本です。
街道歩きの入門書として最適ですし、五街道踏破後にどの街道を歩くかを
検討するのにも最適です。
五街道については勿論、主要な脇往還についても、はほぼ網羅しています。
関東、中部、近畿、中国、九州別に、各々の地方の街道の地図と説明が、
非常に簡潔にまとめてあるので、地方の街道巡りの計画をたてる際にも
参考になります。
そして、この「日本の街道」を読んでいて、その中の「三国(みくに)街道」を
少しだけ歩いてみたくなりました。
当時、江戸から越後・佐渡へ行くには、中山道の高崎宿から分かれる
「三国街道」を通り、、渋川を経て、「三国峠」を越えなければなりませんでした。
そして、案内書によると、「三国街道」には、他の街道には無い際立った特徴がありました!
その特徴とは、驚くことに、何と、宿場毎に、佐渡送りの重罪人を泊める牢
があった事です!
と言う訳で、先月のゴールデンウイークは、「三国街道」を少し歩いて、群馬の
猿ヶ京温泉で1泊して来ました。
上野(8:58) → 新幹線Maxとき309号→(10:06)上毛高原 上毛高原(10:32)
→ 関越交通バス→(11:10)猿ヶ京温泉→ タクシー→ (4km)→永井宿
上の写真の猿ヶ京温泉のバス停から、タクシーに乗って、約10分で、
「三国(みくに)街道」の「永井宿」に着きました。
「永井宿」(群馬県新治村)は、この先にある三国峠への急斜面にへばりつく様にしてありました。
越後(新潟)と上州(群馬)の国境にある「三国峠」は、冬は豪雪、夏は雨に
よる土砂崩れの難所でしたが、越後と江戸を結ぶ最短ルートだったために、
多くの旅人が利用しました。
山深い宿場町にも拘わらず、越後側から上州側に入って最初の宿場だった
ので、本陣を含めて33軒もの宿があり、米の問屋場としても栄えました。
更に、永井宿の近くには、弘法大師が発見したと言われる法師温泉があった
ので、湯治客もこの街道を往来しました。
路線バスを下りて、先ず「本陣跡」へ行きます。
本陣跡から急な坂を下りると、右手に上の写真の「永井郷土館」がありました。
この郷土館は、廃校になった猿ヶ京小学校の永井分校跡に設けられた
のだそうです。
大名の高札や武具など約500点が展示されています。
ここで、三国街道歩きの情報を集めます。
それによると、古くは、上杉謙信が、関東へ出陣する際に、十数回も三国街道
の三国峠越えをしたそうです。
また、江戸時代の大名行列では、長岡、村上、新発田などの各藩が三国街道を利用したそうです。
そして、現在では古碑や道祖神を巡るハイキング、三国山登山道として
ハイカーが永井宿を訪れているそうです。
(戊辰戦争の前哨戦で、この地で、旧幕府軍として激戦を戦った郡奉行・
町野源之助の写真)
郷土館のオジサンの話しだと、永井宿からは、中部北陸自然歩道
(旧三国街道遊歩道)の矢印に沿って歩けば、簡単に猿ヶ京宿へ着ける様です。
郷土館を出て、坂道を更に下ると、右手に細い道がありますが、矢印に従って、
ここ永井宿から猿ヶ京宿へ旧三国街道へ入って行きます。-
山道の街道沿いには、春の花が咲き乱れ、気分はハイテンション!、快適な
ウォーキングです。
森林浴を楽しみながら、渓谷沿いの中部北陸自然歩道(旧三国街道遊歩道)
の爽やかなウォーキングが続きます。
上り下りのある気持ちの良い坂道を歩いて行くと、写真の「会津藩士白虎隊
町野久吉墓」がありました。
これは、戊辰戦争の前哨戦の三国戦争で戦士した会津白虎隊の町野久吉ら
5名の若者の墓です。
久吉は、槍の達人で大いに新政府軍を悩ませましたが、数発の銃弾を受け、
17才の若さで壮烈な戦死を遂げました。
久吉の首は、永井宿の高札場に、竹に刺されて、7日間晒されたそうです・・・
そして、町野久吉墓の先には、突然、工事中の表示と、ダムのような壁が…。
旧三国街道は、ここで消滅している様です・・・
工事の道案内のオジサンに聞いてみると、現在、新三国トンネルを掘る工事が
行われており、トンネルを掘削した際の残土を、ここに捨てているとのことでした。
仕方なく、いったん国道17号に出て、この工事現場の残土廃棄用のコンクリートの壁(写真の赤丸印)を迂回します。
暫く国道17号を歩いて行きます。
間もなく、17号沿いに目を見張る様に色鮮やかな桃の花と満開の桜が!
余りの美しさにウットリとして、暫く立ち止まって眺めます。
更に、国道17号を歩いて行くと、旧三国街道遊歩道へ戻る表示がありました。
再び、春の花が咲き乱れる山道の快適なウォーキングです。
永井から猿ヶ京まで4キロですが、上り下りのある坂道なので、久し振りの
街道歩きは、結構長く感じました。
やがて遊歩道は小さな谷を渡り、その頃になると前方に赤谷湖が小さく
見えてきました。
湖畔がゴールの猿ヶ京宿です。
猿ヶ京宿が近づくと、街道沿いには数多くのお地蔵さんがありました。
医療の乏しいこの辺りの山村には、お地蔵さんを祀り「おがんしょ(願)かけ」
をして、病の回復を願う風習があったそうです。
(耳だれ地蔵)
街道沿いには、耳だれ地蔵やいぼ地蔵など、江戸時代の人々が、悩まされた
であろう疾患の名がついた地蔵がいくつもありました。
(いぼ地蔵)
(子育て地蔵)
(目の薬師)
(二十三夜塔)
今晩は、ここ猿ヶ京温泉街の次頁の写真の温泉宿「吉長」(きっちょう)に
宿泊します。
(1泊2食付ゴールデンウイーク料金:14,580円)
宿の温泉にゆっくりと浸かって、街道歩きの疲れを癒します。 |
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